ホロコースト賠償騒動

ホロコーストの生存者やその遺族たちが、自分たちの没収された財産について権利請求することそのものが問題で、騒動を引き起こすのではない。問題は、そうした遺族=相続人すらいない「相続人不在財産」を巡る所有権争いである。国際法も各国の法律も大体において、相続人のいない財産は、いかなる自然人も権利を持たない。
ユダヤ人は国籍に関係なく「超国家的」に抹殺された。したがって、「フランス国民」「ポーランド国民」としてではなく、「ユダヤ人」として殺された者の相続人不在財産を、各国家やそれに準ずる個人・法人が相続するのは、正当性を欠く。「ユダヤ人」として被った被害に対しては、「ユダヤ人」として補償されねばならないというのが、ユダヤ人団体が「相続人不在財産」の賠償権利を主張する際の骨子である。実際のところ、ユダヤ人にとってナチのいう「人種的ユダヤ」が本当に存在したかどうかは、ホロコースト後ではどうでもよいことで、現にその迫害は共通損害により、定義可能な「ユダヤ人」を生成したのである。
先にあげた法律問題と加えて、個人権利を収集・包括するような後付けでの上位集団の権利というものが存在しるのか、という問題である。ユダヤというだけで、孫・ひ孫など直接個人的繋がりを持たない相続主張に、疑問をもつユダヤ系もいる。
フォンケルシュタイン『ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』が攻撃している「ホロコースト賠償問題」も、これに当たる。ヨーロッパではなくアメリカで、スイスを始め他国へのユダヤ人団体による集団賠償訴訟(クラス・アクション)が集中したのは、米国法律では、訴訟先の米国内財産を差押出来るしくみがあったからである。国際法により、国家は外国の裁判所において責任追及されない「主権者の免責」がある。しかし自国にある現地法人の財産なら、その刑罰対象となりうるのである。ユダヤ人団体はそこに着目した。世界返還組織会長には、世界ユダヤ人会議会長エドガー・ブロンフマンが就任した。彼はシーグラム会長であり、米民主党の大口献金者でもあり、クリントン大統領夫妻とファーストネームで呼び合う間柄であり、クリントン政権は2002年の任期終了時まで、こうしたユダヤ人返還要求を後押ししてた。こうした背景で、いちやく脚光をあびたのが、スイス銀行の休眠口座をめぐる集団訴訟であった。

ユダヤ人の要求に対する政治環境は良好であった。まず、当時のクリントン政権が、返還要求に好意的であった。また、ニューヨークを基盤とし、この町の巨大な「ユダヤ票」の獲得をもくろむ共和党政治家アルフォンス・ダマートは、みずから変換要求の急先鋒を買って出た。ダマートは自分が委員長を務める米上院銀行委員会で、スイス銀行の件で公聴会を開き、一躍「正義の人」となった。人道問題に敏感なメディアも全般的にユダヤ人を支持した。金融界の巨人が実は悪玉だったという筋書きはわかりやすかったし、年老いたホロコースト生存者がテレビの前で訴える姿は同情を誘った。逆にアメリカ流のメディア戦略や圧力団体との交渉に不慣れなスイスが、返還キャンペーンをユダヤ人団体による「恐喝だ」などと口を滑らせようものなら、その「反ユダヤ主義」は、ますます新聞の見出しに躍り出た。

武井彩佳『ユダヤ人財産はだれのものか―ホロコーストからパレスチナ問題へ

問題はこれを起点に、第二次世界大戦における中立国スイスの姿勢にまで拡大した。年金資産をスイス系銀行で運用していたニューヨーク市は、銀行に対して制裁発動を示唆するに及んだ。その「反スイス」世論・政治圧力の高まりに対して、銀行は巨額賠償金を支払うことで、他のスイス系企業・国家に対する請求を破棄する合意をとりつけてユダヤ系団体と和解した。武井曰く「戦争に参加していないスイスが、「戦後賠償」を行うという奇妙な状況が生まれた」。また、そうして集められた賠償金の使い方には、問題があった。スイス休眠口座賠償金は、「重要なのは、この和解金の一部が、主に旧ソ連におけるホロコースト生存者の援助に使われていることだ。ここで援助対象となる人は、スイスの口座とはなんら具体的な関係を持たない。」と武井は言う。こうしたユダヤ人団体の集団主義に対して、一部のユダヤ人は強く反発している。

以前は、ユダヤ人とは運命共同体であり、全体のためには、ある程度の個人の犠牲は必要だという認識があった。…ホロコースト直後の困難な状況においては、個人の権利より集団の利益を優先させるほうが、最大多数に最大の善をなすと考えられたのだ。
しかし民族の存続そのものが危機にあると認識された時代が過ぎると、ユダヤ世界の求心力は薄れ始めた。イスラエルユダヤ人国家への支持を訴えれば訴えるほど、そのような半ば強制されら集団性を拒絶する人間が増えた。
結局、ホロコーストで残されたのは誰の金なのか。ユダヤ世界の指導者たちはこれまで、ユダヤ人犠牲者すべての金だと、答えてきた。しかし現在のユダヤ世界では、ユダヤ民族共同体の一員である前に「個人」であるという、ある意味では当然の反論に対して有効なイデオロギーは、もはや見出せなくなっているようだ。

さらに、イスラエルとの関係がネックになる。1952年西ドイツでイスラエル/対ドイツ物的損害請求会議とのあいだで調印されたルクセンブルク補償協定により、ホロコースト生存者の受け入れにより経済負担が講じた補填として、イスラエルが受け取った補償金は、国内「インフラ」用のドイツ製品購入に多くが使われた。日本のODAの仕組みと同様、第一にドイツ産業が潤った。後、ユダヤ人口を増やす為にアラブ諸国からかき集めた、非ヨーロッパ・ユダヤ系の人々の援助に使用されていることは、公然の事実であった。

人間の強制的な移動・除去において、共通して現れるのは、追われた者の財産が、後から来た人々の生活再建の原資となり、しかも、後からくる集団とは、往々にして、彼ら自身が他の場所から追放された者であったという事実だ。
さらに、不在者の財産を手に入れるのは、不在となった集団より社会的には下位に位置していた者であることが多いという点も指摘できるだろう。…ズデーテン地方をはじめ、戦後にドイツ系住民が追放された後の住居に入居したのは、ロマであることが少なくなかった。
イスラエルにおいても、アラブ人の家をあてがわれたナチ犠牲者は、イスラエル社会の辺境的存在であった。ホロコースト生存者とは、ディアスポラの過去を象徴する「強い」イスラエルのアンチ・テーゼであった。しかし彼らも経済的に自立すると、徐々に中産階級が暮らす地域へと移っていった。その後には、遅れてきた移民、つまり社会的にはより下位であると見なされたアラブ系ユダヤ人ミズラヒームが入ってくるのである。

・『ホロコースト産業』について
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb811.html
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20061004NGFinkelstein.htm
イスラエル建国〜パレスチナ紛争についてid:hizzz:20090214