恋愛の自己責任

サークルクラッシャー」てのが、はてなキーワードでちょと盛り上がってる。サークル内で、男女関係を次々取結ぶ女がサークル関係を壊すということらしい。あまりにも古典的なその紋きり定義、なんだかなぁ。こゆことはよく聞くネタではある。
id:mitahiroshi:20050421で、その非対称ぶり*1がカキコされてる。
まず、その問題行動とされる恋愛/セックス依存的言動であるが、それは個々人のセックス・コンシャスなので、思想信条宗教の自由、んなの、It's your business。 ほっておけばいーのである。レイプやセクハラでその男女関係が成立したというなら問題であるが、そうでないなら、複数とか同時進行的関係を持とうが切ろうが、イタイ相手だろうが*2、そういう関係を取結ぶ大人双方の個人の自己判断責任なんだから It's your business*3
共同体成員だからといっても、男女関係は It's your business。そーはならないトコが、密着した「同類項」、渡鬼世間id:hizzz:20050311な共同体の持つ性質なんであろう。いや、だから該当者が次々と共同体内で関係を散らかすことが問題なんだといっても、もてない問題に付随する「正しい恋愛」id:hizzz:20040705#p3という価値観が自己自明として幸先あるから、お互いを占有しつづける関係価値観にない異者的行動(複数or同時進行関係)が自己アイデンティティをゆるがし不安や疑心暗鬼になるだけのことである。そしてそうした不安や疑心暗鬼になる自己判断自己責任の範疇のことが、ナンで「全日本の文化系コミュニティ崩壊原因の実に87%を占めるといわれる。」と共同体全体の問題にすり替えるんだ?なんで、1個人の不安や疑心暗鬼を、共同体が解消しなければならないんだぁ?
もてないが故のスキルのなさと説明されているが、その個人スキルのなさを共同体的モラルにすり替えるこの飛躍は、典型的な主体ハズシ=自己責任解除ではないか。もてるもてない*4以前の、〈私〉と共同体での〈個〉の自己の在り方の問題である。id:hizzz:20040716#p3、id:hizzz:20040424#p4「責任を負う自己」として自立することがないまま共同体と自己が一体化してたところに、恋愛/セックス関係という個人が努力しなければ続かない関係を引き入れ、関係破綻や複数or同時進行関係を知ったとたんに、関係独占できえてない「責任を負う自己(能力)」を突付けられパニくり、いそいで元の共同体にカモフラージュさせて、ほやほやとした複数の同類項〈私〉に戻ろうする斥力(=うまくいかないのは全て他者のせい)が、特定個人を「クラッシャー」としてカテゴライズするということではないか。
事が男女交際なんで、男と女な問題のようであるが、ワタクシはそうは思わない。なぜなら、えてしてこうした依存的行動の女性に対して、男性のみならず女性も不快に感じ結託して、該当者ネガティブキャンペーンを張ることが多いからだ。一度こうした主体ハズシ=共同体求心装置が成立すれば、あいつがきにくわない、こいつがきにくわないと、次々と全体主義ネガティブキャンペーンが張られ過激化するからだ。そうして誰も責任を持てないまま、求心力のみ暴走する。そうだからこそコミュニティが崩壊する。
そゆ同類項共同体での序列整列関係以外の関係を許さない、単一志向をもってよしとし、それで個人を縛るというのが、容易にネガティブキャンペーン→バッシング(いじめ)排斥につながるプロセスを生みだしているのに、それに無自覚なのである。
個人と個人の関係が、同類項と異者の問題となり、それが共同体と女の問題にすり替えられて、多数が個人を排斥するという構図である。id:hizzz:20050302
それに対してid:mitahiroshi:20050421#cコメント欄で当該キーワード編集代弁をするid:otsuneさんは、「自虐ネタ」であると発言されている。が、元々男女関係をどう取結ぶかという個々の〈主体〉の問題(その女性と関係しようとする主体)が隠されて、自己責任解除として自己=共同体を盾にした、共同体vs特定個人バッシングになっているにも関らず言及されず、そこへの意識があまりにもウスイ感じが見受けられる。
「自虐」というプレゼンスは、その個人内観や意図はどうであれ、この状態(特定個人バッシング)を自己肯定することになる。それは、結果的に「サークルクラッシャー」をバッシングカテゴリーとして支えてることになる。id:hizzz:20040624#p4
キーワード作成者は何度も解説に手をいれているが、基本的なスタンスが自分の自虐=〈私〉を、キーワード=〈公〉で共有して当然という上で成立っているように見受けられるので、言葉じりの修正でしかない。第三者の不在で、自虐が他罰に直行しているキーワードに対する性質を、id:solowr:20050422/p1さんが、丁寧に書かれている。

*1:端的にいえば、女と次々関係を持とうとする男がサークルクラッシャーとならないトコだろうか

*2:無論、ほおっておけないと正義の使者なナイト君はいるが、それも「正義」でもナンでもなく、そゆ個人のセックス・コンシャスなだけ。でなけでば、安全パイねらいでしかない。なぜなら劣位と思ってる相手なら確実に自分がナイト(=優位)になることをプレゼンスするのが目的だから。

*3:恋愛/セックス依存な〈男〉で在りたいがゆえに常に問題となる「モテ/非モテ」つー自己の成立たせ方であるという側面を、あまりにも無視しすぎてる。

*4:恋愛資本主義」というターム(社会が悪い)を盾とした客体化した自己の思考停止状態

コココロ

んぢゃ、サークルをにぎわすこうした「困ったちゃん」はいないのか、といえば、それはいる。かってワタクシはそういうお騒がせを、「ココロの植民地主義 ココロコロニアム(コココロ)」と命名した。
http://hizzz.hp.infoseek.co.jp/d&f/13_txt.html
が、これは男女性別関係ない。今回の「サークルクラッシャー」的定義で特定個人をバッシングする人々と、結局は「正義」にすりよる自己の在り方、アイデンティティということで同一。そうすると、これは同族嫌悪だよな〜*1。と、ああ、どっちもどっちと、声高にこゆことをいう人が出るたびに、萎えるのである。まさに、「みんなって、あんたと誰?」である。

*1:自分の正しさを絶対的に保証してくれる他者を使った「物語」づくりに熱中(恋愛/セックス活動、バッシングによる社会正義活動)し、そこに自己アイデンティティを持ち共依存してしまいがちな者同士の、他者「植民地」依存合戦か?

Risk-taking boys do not get the girls

id:kmiura:20050419#p1での話題。これもあまりにも古典的ネタ。しかし「アタシがいなくちゃダメなのこのひとは」って女性も沢山いるから、恋愛市場においては、りこう/バカ関係ない。
コメント欄でid:svnseedsさんが、「男性はriskしか見ておらず、一方女性はriskに対するrewardを見ている」のは「文化的なもの」と発言。
数多のお伽バナシにみられるように、ヒーローがriskをとって、その褒美的にヒロインと結ばれるというスジがパターン。そゆので男性らしさ=Risk-takingが伝承されているとこうことは多々あるであろう。したら、文化的でありジェンダーロールの再生産ということになる。
とゆーか、男性が「冒険」*1で女性が「恋愛」というモノサシが、比較対象として同等に成立してない。だから、定型的ジェンダーロールをひきだす結果になってやしないかと考える。
で、その奥にはナニがあるかといえば、コメント欄でカキコしたとおり、riskをとって失敗した時の担保の為に目的を手段として賛美しまくる(=だからオレ様を評価しろ)というどっちらけなエクスキューズがあるのではないか。
「女は男のロマンを解しない」といいがちな「冒険野郎」は、自分と同等もしくはそれ以上(自分そっちのけで)冒険する(=手に負えない)女性を欲望するケースはきわめてマレであり、見守ってくれる者(=冒険を好まない女性)を欲望とする。が、見守ってくれる女性はrewardを期待する場合が多いというのが、実情なんではないか。であれば、男女の違いというより、個人間による趣向とセックス・コンシャスのスレ違いの方が大きい。
しかし、端的な「冒険」とは、自己充足ってことなんだけど。それになんで異性関係がくっつかなければならないのかな?そう考えると、自己充足する他者を引き付けておくには、性別関係なくお互い強力なrewardがナイとダメってことで。そしたら、なんだかんだいっても、やっぱりreward目当てなんぢゃん(苦笑)
男女というエクスキューズをつかってまで、真の欲望(=失敗に対する他者保証)を覆い隠すのだとしたら、その行為は全然Risk-takingでもなんでもないんだしぃ。。。バカとして異性に袖にされるなら、そゆトコだろうな。

*1:成上り「冒険野郎」で妄想するのは、大神源太のめくるめくファイトいっぱつな映像でつ。