心の闇

古典的ありふれた事件以外の、最近の話題になる動機が明白でない事件は、その感想としてとにかく「心の闇」という結論?らしー。いや、「動機が明白でない」というのは、違うかもしれない。正しくは、動機を動機と認めない、納得しないというところか。長崎の幼児突落し事件の「誰でもいい」とか「なんとなく」とかといった奴だ。そんな動機は、万引きとかでもありがちなんだけど。まあ、「万引き」的動機の軽いノリで殺人されたんぢゃあ、たまったモンぢゃあねぇ、ということはあるんだけど。とまれ、世間とやらにムリヤリでも「納得」してもらう為に犯罪行為をするひとなんか、思想政治犯か強盗か詐欺ぐりゃあなんではないのかな。しかし、逐一、考えに考えぬいて行動してるひとなんて、一体いくらいるだろう。考えに考えたら、殺人なんて、それこそよっぽどのナニか付加価値?がないと、ワリにあわないだろう。考えないから、「誰でもいい」とか「なんとなく」ともなる。だから、本人でさえ自分のしていることが「よくわかわない」。まーソレを、あだこだ他人がいぢくっても、結局「よくわかわない」=闇でしょう。

生の意味を問うことは、死の意味も問われることになるからだけどね。考えても意味なんかないというのが結構当たってたりもするんだけど、けど、その無意味さにどうしても耐えられない折合いがつかないって奴。

しかし、心の闇をもたないひとがいたなら、それこそ心底おそろしい存在なのでは。…と書きつつも、「怖い」「恐ろしい」と煽っていれども、な〜んもココロにひっかからずワイドショー的なステレオタイプな反応ばかりするひととか、、、結構いそうな気がするのが、これがまた。。。

被害者の親の身になれ、という声は声高だ。しかし、加害者の親だって、その事件のいたましさにはかわりあるまい。怒りの共感を激情的に欲望するひとは非常に多いが、それを共有して消費して終わりというのぢゃあ、それこそ事件の当事者はいたたまれない。その「善意」とやらの押付けで、プライバシー等を根こそぎさらわれて、疲弊するばかりだ。やはりそれも、欲望なのだということを自覚し自省自戒することがついぞない怒りの同調共振は、川崎の万引少年死亡に関する古書店閉店騒動のように野放図に尊大横暴を極める。そして時には容易に殺人に迄発展してしまう。沖縄の少年集団リンチ殺人みたく。

「正常な性の発達」っていわれるが、その「正常」=成人対象異性愛とやら以外をまったく認めない=異常視するがごとき乱暴ないいまわしはどうか。欲望のコミュニケーションの在り方がこの事件の場合犯罪行為であったということだけで、その欲望=イマジネーション自体を犯罪とし、一切合切を封殺するのは、「そのコミュニケーションの在り方」のおとしこみ方をなくし、逆にひとを追い詰め袋小路にならないか。無論、幼児愛は対象相手に欲望を貫徹する行為自体が犯罪となるのだが。しかし、それは「殺意」というごくありがちな欲望だって、口にするだけでそれはただちに「脅迫」になるし、幼児〜成人とわずレイプだってそれはそうなのだ。ジェンダーは奥深く、根本なのかどうなのか。