桐野夏生『グロテスク』

この本、泉鏡花文学賞を受賞したそうな。
『グロテスク』ISBN:4163219501けは、佐野眞一『東電OL殺人事件』ISBN:4101316333 『東電OL症候群』ISBN:4104369020。このあまりにも無神経で傲慢な陳腐なリリシズムを妄想展開した自己愛陶酔心情ダダもれの佐野本にハラがたった。容疑者とされてる出稼ぎネパール人と被害者が、ドコまでいっても売買春以外に接点がないように、著者が「堕落のエロス」に思い入れば思い入れる程にリアルから遠ざかる。誰がそんな彼女を殺したのか?といえば、そんなアンタ自身だよ、といっておこう。まーそんな憤懣を友人達とダベッていたら、今度この事件をネタにした小説が出たと推薦された。
もう寂しくて哀しくて誰かに強く求められることでしか自己承認を得られないひとは、こうした自己愛100%な奴に身を投げ出しても縛られようとする。だから、自分の自己愛に忙しい奴は、他者の自己を壊してでも自分をいつでも主人公にすえる。いっけん隷属しているようだが、自己愛100%な奴に身を投げ出して縛りつけることで主人公になろうとするという、目的/手段が、一致している同志なのである。共依存ってやつかな。
『グロテスク』には4人の女と1人の男が出てくるが、この5人が5人共そうした志向のひとである。すなわち「成り上がり」。書評などで絶賛されている「果てしなく上をめざす怪物的な階級社会」の主人公になろうとした分ダケ、壊れていくひとのハナシである。5人の中で唯一作者に名前を与えられていない語り部、フリーターの「ユリコの姉」、彼女ダケは「悪意」という反動で「怪物的な階級社会の主人公になろうという欲望」を防戦しているように見えるが、しかし、それは所詮カライバリの「反動」でしかない、他の4人を既定することができるというによって全知全能の自己愛にひたるカラッポな自分(それ故、「姉」という属性以外の名前=固有名詞が与えられない)、同じアナのムジナであるという冷徹が、最近起きた三面記事的エピソードにまみれたこのジェットコースタードラマを引き締める。先にカキコした自己愛なひとにかぎって、「愛を、もっと愛を」と連呼したりするのが常だったりもするが、実際は「愛」なんてクソの役にもたちゃしねぇのである。そして5人もそんなモンを一度たりとて真剣に追求めない。そんなハナシは書かれない。それを女は追求めてるものだとするのは、「怪物的な階級社会」=男社会の幻想だからね。そういう安易なトコにもっていかない。したからその分攻略が難しい故に戦略がユルい(とゆうか、殆ど空手形状態)ツケで、衝撃(=社会的制裁)もまた大きかったということか。
さて、この本をもってして佐野的な自己愛ヲヤヂに一矢放つことが出来たか、というとヲヤジはしぶとい、なんのその。各書評氏の大絶賛ぶりをみてると、相変わらず自己愛に浸ってたりする。特に、朝日新聞コレなんか、目まいとハキケすら感じる。いかに「陰惨」で「壮絶」であとうとも、この5人の起こすドラマは「同じアナのムジナ」であるからヲヤジの自己愛は安心するのだ。物語にあるとおり有名私立女子高で外部受験して入学してきた「外部生」(=成り上がり組)とは、決して深く交わらないエスカレーター進学の「内部生」(=自明セレブ組)のように。一線を越えて突飛で特異だからこそ自分に関係なく、関係ナイがゆえに安心して「同情」や「共感」を騙れる。現代日本の正当(=男社会)を自明とした者はしたから優越感すら持って内部に同化しようと進入してはじかれた成上り部外者達(セレブたりえない中高年女と途上国出稼ぎ外国人)を、この「現代日本の抱えこんだ闇」の奥に遠ざけることで安心して楽しめるのである。悪意は、こうしたトコに無意識に潜む。家庭も学校も会社もそうした男社会の掟に倣うように日夜矯正する場でしかない。それを一生懸命履修すればする程に、そのドコにも自分の居場所がナイ。それこそが、もっともグロテスク。
作者はそこ迄想定してたのかどーだかは、知らない。が、こうして、いくらカラダをはって酔狂し反乱しようとも、いとも簡単に他者の自己愛に利用されて後は殺されるのであるよ。それがお互いわからないまま、相手に渡りをつけようとしてもムダなのである。そういう種類の残酷を、絶対に解ろうとしない奴、ホントに解ってしまうと自己(愛)が崩壊するから全力全霊で解ろうとしない奴はゴマンといる。そしてこのハナシの女4人もそうであるがゆえに、この世間に渡りをつける方法をあみだせずに、世間の自己愛に身をすりきらせて消耗するよか他になかったのである。
世間(=男社会)の自己愛とは、佐野の欲情するような「堕落のエロス」である。それゆえ、「若いエロス」もないクセに「亭主元気で留守がいい」とばかりに自分達の承認を必要とせずぬくぬくと生きている中高年女は、異者として軽蔑の対象となる、というかそうやって自己愛を保つしかないのだ。自分を愛していいかどうかのパーミッションを与えることに、自己存在証明を賭けてる連中、自分がいかに自分を愛しているかということに勝利する以外は、アウト・オブ・眼中。「共感」や「同調」ばかりを価値とする共依存社会。そおいう「現代男社会の抱えこんだ闇(藁)」は、誰かかいてくれてんのかねぇ?


…と、だりだりカキコしてる内、そーいやなんかカキコしたおぼえがあるなぁ〜とデジャヴに襲われて探してみる。。。
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