サブカル

80〜90年代も岡崎も、サブカルを纏うことによって隠したものがあるだろう。サブカルを気取ることでメインカルチャーから逃避するという、世界に対する我の「自信のなさ」である。それは桐野夏生『グロテスク』ISBN:4163219501るまいにも現れてる。その世界と我との関係を、葛藤しつつもその関係の中でなんとか渡りをつけていくという作業よりも、ありたいアタシなイメージ=理想を全肯定しちゃいそれを装うことで、イキナリそれまでの世界と我との関係をなかったコトにしたのである。
バブルってそーゆもんだった。バブルにシニックなスタンスをおいてるかのようなサブカルだって、オルタナティブなそぶりをしてたけど、そーゆもんを立派に補完していた。
オルタなんかドコにもなかったけど、トンガリスノップはあるフリを必死にしてた。ま、勘違い、幻想なんだけど。けど、「不思議ちゃん」とか「エコ系」とか「癒し系」とかそういう今までの過去はなかったコトにして自分に血道をあげたい思い込みな自己愛系はいまも沢山いるけどね。いくら「反資本主義」とかいっても、コンビニエンスでたんなる横着だよな、いってるコトとやってるコトが違うぞソレって思う訳でありんす。
そういう手合が岡崎チックなものを絶賛しても、それこそ自動資本主義販売機レベルでの愛玩商品として陵辱されてるのと大差ナイのでは。