互酬性から互譲性へ

個人的には関心あるが排他的雰囲気のある困ったちゃんサイトに「儀礼的無関心」でもってなるべく気配を消してウオッチし続けるという暗黙の了解事項は、参画か/排除かという〈個〉とサイトの関係のありかたをどちらも「決定しない」ということは、どちらも「排除されない」ということで否定消極的に関係してくことを自発的に選んでる。これはどう考えても「酬」ではなくて「譲」である。
マナー化したり技術的にも様々に具体的検討されてるということは、個人に出来るだけ自由を与えユピキダスを旨としてきたネットの無限の互酬性がもはやそれでは〈個〉持たず、有限の互譲性に移行しつつあるということかな?