中世から近代へ

ひとつのおおきなコミュニティ=大きな物語は、現実では崩壊してんだけど、またそれをネットで再現しようというひとはいるだろう。そもそも理系のめざす「美しいプログラム」って、ムダや余分のないことだもんな。それは異質=多様をハジく一神教な思想。してみると、最初は専門技術畑中心に発展してきたネットって、理系の真理(方法論)はひとつ=コマンドラインな超法規社会。それで自由で力(技術)さえあれば好きなトコに行って(ユピキダス)それににあった報酬はかならずGetできうるマトリクス。しかし力なき者にとっては不自由で排他的空間になる。真理を崇拝し自由を謳歌イノベーションに邁進する権力内閉化したネット王侯貴族と排除されてる愚鈍の民…これって「中世」そのものだよな。
そして、id:hizzz:20031209でカキコした通り、そういう愚民政策としてただちにあの手この手の救済プログラム&スキル伝達されることによって秩序づけられるそれは「村の中にある家父長制」=「近代」そのもの。
ただこれが成文化されたルール合意でない「慮り」というコトを共感域で分担するということで排他閉鎖環境をごかまし、かつ家父長制という権力主体をぼやかしたソフトな内閉的関係の共犯となる。そして排他に他者をおとし込む野蛮からスマートに「儀礼的無関心」がマナーとなることで個人論理と化し、困ったちゃんサイトは、晴れて?放置プレイとなる。
id:hizzz:20031023でもふれたように、アーキテクトに常に忍び込む「階層」というのはこういうことである。そして、最初は政治的に参画/排除されたポジションが、幾重にも重なるアーキテクト&ルール&マナーの層によって自発的に抑制される。