伽藍化してくバザール

「中景」が喪失し「遠景」と「近景」がダイレクトにつながりあう

心理学化する社会』ISBN:4569630545

ネットDIY文化の理念、レイモンドの『伽藍とバザールISBN:4895421686の一番の特徴としては、動機と参加の意志だけでコミュニティの秩序維持が出来うるとしたものだ。しかし、実際はそれだけでは物事は動かない。そこに具現的展開の見渡せるスキルとコミュニケーションがあって初めて、全てが始動しはじめる。高く同質なスキルがあるという条件を満たした集団でのみ可能になるのである。ところが、その肝心要の「具現的展開の見渡せるスキルとコミュニケーション」という高スキル制御部分を大半のサブカルはシャドーワーク化してしまった。
何故か、参加人数というマスをとりにいく為だ。また、素朴にも、自分のシャドーワーク部分も一緒に作業する仲間なら解ってくれてるはずと牧歌的に思い込んでしまったのであろう。尚且つ、「動機と参加の意志」という責任の明確な所在を可能な限りぼかした。が、しかし、んなこたぁ、後発参加のマス化には解りっこないし、解ろうとする気もない。メンドクサイもの。だったら沢山ある他所のサークルに行くよってなモンで。
サブ・カルチャーでなくってサブカルというカルチャーとなってしまった今、そゆ後発参加にとっては、サブカルは伽藍そのものなんだよな。だから、コミケに参加する人も本業=現実あってのサブ=ファンタジーでなくって、もはやサブカルそのものだけがリアルというのが大勢になる状態だと、伽藍のカウンターとしてのバザール方式という建前はかぎりなくヌルく無意味に見えて、いっそきっちり本業化=伽藍化してスッキリしろって意見もでる、と。