降りる…といってみる系譜

過去にカキコした通り、「降りる」みたいなことをいったひとは過去いっぱいいた。「ぐれてやるぅ〜」っていうのなんか、典型的だな。「ぐれる」ぢゃなくて「ぐれてやる」って高ビーにでる、原因はそっちにあるといいたてる自己責任排除型「ぐれる自由」権利行使で、「まあまあ」って取りなしを期待してるトコなんか。
私文学って大体そゆハナシのオンパレードなんぢゃあないだろうか?自己卑下吐露して仲間とか、土下座して許してもらえるというカタチをとった存在証明ってこと往々にあるもんな。
明治からこっちの負け組話としては、山口昌男『敗者学のすすめ』ISBN:4582702252。ちょーキビシー封建家父長制の下にいた女性だって「出奔」って手が、宮本常一『家郷の訓』ISBN:4003316428し。戦後にしても坂口安吾堕落論ISBN:4087520021のはそゆ文学してた。金子光晴『絶望の精神史』ISBN:4061963767、息子を徴兵制からハズす為のこっけいな努力が書かれているが、「人間が国をしょってあがいているあいだ、平和などくるはずはなく、口先とはうらはらで、人間は、平和に耐えきれない動物なのではないか、とさえおもわれてくる。」と終わってる。
ドロップアウト」「脱サラ」ってのは手をかえカタチをかえ何回かブームになった。赤瀬川原平老人力ISBN:4480036717ー、「いまやアクションあるのみ!」読売アンデパンダンの精神はカタチを変えて続くってことかな。中島義道『人生を「半分」降りる』ISBN:4888483698「半分」というどっちつかずな状態キープってトコがミソかな。物議をかもしだしたけど、鶴見済完全自殺マニュアルISBN:4872331265、リアル人生の具体的幕引きをつきつける。左派人文系では上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』ISBN:4811806662、この上野本にもでてくる『だめ連の働かないで生きるには?!』ISBN:4480863273。んが、上野センセは今も東大教授であらせられて、かって教壇に立っていた3流校の学校化社会人とはサヨナラした?みたいでも、学校社会とはサヨナラする気はない模様。「だめでいいじゃないか」をスローガンにした「だめ連」は、その主要メンバーの高学歴と人文系学問業界への進出ぶりから「だめ連だめじゃない説」が常につきまとうわ、モノホンのダメが集結して問題起こしててんてこ舞いで、酒井隆史『自由論』ISBN:4791758986。あ、そういや、尾崎豊も「学校社会」からの卒業をいいつつ「学校化社会」に閉じ込められた風だよなぁ。「登校拒否」「ひきこもり」「フリーター」というのもこの系譜だよなぁ。ヌ?最近はスナック菓子に迄「このままレールに乗る人生で楽しいか?」と「暴君ハバネロ」駅貼ポスターで挑戦される始末ぢゃん。
勿論それでホントに「降りれた」かどうだかはさておき。こういうことについて「指摘するだけでは弱い」と、charlieさんはいう(http://www.socion.net/soul/index.php?itemid=304)。
「世間」が出たついでにぶっちゃけて言っちゃうと、「判官びいき」っての「弱者主義」な左派ってのはなにわ節直列で、強いものに認めてもらって守ってもらいたいという心情欲望は親米保守派と見分けがつかないんだけど、…目が悪いのかワタクシ。