マチズモ

マチズモとしてのオタク言動ということに関しては、いくつか文献があろう。はっきりいって、女性オタクも同じなのである。同じであるから性別を超越し、自分の世界を君臨したい。その為の「やおい」「ジャニオタ」である。最近のエログロなギャルゲーにはまる女性もまったく同じである。詳細は明らかにされないが、河内長野ゴスロリは、自らのマチズモを発揮して世界を貫徹しようと、実際の交際相手をつかって事件を起こしたということも考えることもできる。id:hizzz:20031104女性オタクは、自らがもつ男性性/女性性の両義性に一番敏感で、現実の脅威を回避し魅力ダケを堪能しようとする世界にはまった人たちなのだろう。欲望自体は男性オタクの「萌え」と変わらない。ただ、男性は男社会が手だすけしてくれるのに対し、女性は世間的抑圧が幾重にも重なる。その分だけ「抑圧」気配にはアンテナをはりめぐらし敏感にならざるを得ないのかもしれない。
彼女達がどうして解りやすく話そうとしないのかといえば、社会=男性言語支配されたくない為である。すべては男性社会支配を逃れる為に、自由自在に〈男〉を逆支配し「愛で」〈女〉を「愛玩」するエロスの為である。しかし、そんな「大それた欲望」を〈女〉の分際で持つことは、恋人や一部の男性が許容したとて、社会が許さない。それをよく解っている。だから知られたくない。
kanoseさんが望むように、男性と同じように自分たちの歴史観セカイ系をひろめようとする者が出てくる時は、それは今の同人系女性オタクの在り様とはまったく違うものになってるであろう。それが、ほんとに〈女〉から自由になった女性なのか、逆に〈女〉に捕らわれた女性になるのかは、解らないけども。同人系ネットの書込みを読んでも、今の社会に依存しなければ生きてはいけない自分だけど、その社会=男性が変わってくれることには絶望してる女性が多いみたいだけどね。それもあって、尚更カミングアウトする気にならないのかもしれないと推察できるんだけど。
id:hizzz:20040324#p3で引用した「痴漢」で日本で女性が怒れない(=物申す)訳は、こうして姿カタチを変えいたる所にある。「女オタ」として女性性としてのオタク行動をひとくくりに考え体系的に理解しようとするならば、なによりもまず、こうしたことを踏まえないで、一方的に要求を繰出し分析しても「男オタクのコード」となってしまう恐れが強いのでは。