オタクの欲望

id:narko:20040404では、斉藤美奈子『モダンガール論』をひいて欲望史観を書かれている。オタク「少女」系譜の歴史化なら、明治時代の雑誌『女学世界』等の投書に見られるキリスト教&文化の影響をうけた上流階級のミッション系女学生同志の独特の乙女言葉のやりとりなんかが、多分大本になるだろう。『明治女学校の世界』ISBN:4882330059
「文科系セクハラ男の別名がフェミニスト」と言ったの金井美恵子だが、東センセはその後小谷真理に怒られたからかどーなのかは知らないが、その欲望(=エロス)を認めてる。

日本はホモソシアルな社会でさ、女性は陰に暗に抑圧されている。そのことを女の子たちは敏感に感じ、それをやおいというかたちで表現して批評していたわけだから、その方が明らかに認識は高い。それに対して、男性のオタクはホモソシアルな主体を無自覚に受け継いで、戯れているだけ。そのことの幼稚さははっきり言われなければならない。これは個々人が幼稚だという以前に、ジャンルとして幼稚なんだよ。繰り返すけど、それは表現の過激さや可能性とはまた別。表現の問題と、その表現を支える欲望の構造の問題は、とりあえず分けなきゃいけない。

オタクから遠く離れてリターンズ 東浩紀
http://www.t3.rim.or.jp/~goito/otato-R1.html

オタクについては、浅田彰センセ曰くとるにたらない?土着=「J回帰」ってことで終了する手が、オトナ文化人のオトナなやり方(=面倒には首をつっこまない)だったりする。東センセは「ナショナリズム」と「オタク」の親和性について語ってるが、いきなり「ナショナリズム」なイズムをもちだされても戸惑うオタクが多いのではないだろうか。現象面で色々細々あれども、結局「子宮のついた男」子宮内セカイ「受け」カタチの「攻め」と、「ちんこのついた女」頭脳セカイ「攻め」カタチの「受け」っていう、社会に対する「不思議仕様」id:hizzz:20031213って保守構造への執着ってことが、そのセカイ補完計画→「ナショナリズム」につながるか?ってことなのかな。自分は心情的には左派だって安心してても、同等にヤバい。「特別なオレ様」という「オンリーワン」を集団でめざす終点は、全体主義だからだ。だいたい「理想主義を掲げたまま変わらないでいる」「特別なオレ様」たちid:hizzz:20040229というテクは、全共闘がおおっぴらに始めたことだしなー。
80年代について大塚英志は「新人類は資本と結びついた団塊世代が創りだした忠実な消費者であった。」といったが、東センセは以下のごとく語る。

八〇年代のニューアカとかサブカルと呼ばれた人達がやったのは、単純に言えば日本を忘れましょうということです。八〇年代は、そういう忘却が可能になったはじめての戦後だった。

したから、強い父権=普遍を絶対視する、国粋主義者&浅田センセこぞって、そゆ「軟弱」=母権=悪い場所づくりを「くだらない」と切って捨てようとする。
まー「幼稚」つったって、「永遠の12歳」=戦後民主主義の平和の実践仕様としてるのもオタク(サブカル)なんだから。しかし、それもあやうくなってきたというのは、特に20年の経過をへてそれなりに他者性社会性を獲得しだしたオタク第一世代が一番身にしみているがその危機感は、生まれた時から身の回りにそろえられて提供されるのを享受する「オンリーワン」=「特別なオレ様」にどっぷりつかってる最中な若いオタクには、全然ピンとこない。id:hizzz:20040109むしろ今の自分を全否定されたという感情で「納得」がいかない。だから「お前達とは違う」世代分断と、自分の「ニュータイプ/サードチルドレン」ぶり?を誇示しようとする。