ジェンダーの囲い込み

当人の意志/学力に充分な大学進学を希望してる10代に、家庭環境/生計からも進学に問題ない筈の父親は「女は高校で充分」という理由で進学に反対した。い、いつのハナシだと思われるだろーが、これはわずか数年前、ワタクシの周辺で起こったことだ。
父親50歳。一口に団塊の世代といっても、68年革命だか世界革命だかしらんが、いまだ封建時代は続いている。こゆひとも歴然としているのである。そうそう、68年革命とやらでウーマンリヴが起こったとして、事後的なベーコン係数id:hizzz:20040312#p4だのみの社会學ネットワーキングするむきもあるが、赤プリで「全共闘同窓会」とか開いて美しい自己肯定にやっきになってないで、ブッてる暇があるならば党派やノスタルジーにまみれない均整のとれた俯瞰的な通史を纏めるのが責務であろう。
ま、それはともかく。前回、調査報告での「刹那的に今を楽しもうとする女子」「女のほうが楽しみが多い」という側面id:hizzz:20040612#p2は、非常にモロい土台の上に展開している。
id:hizzz:20040329#p2みたいなコトをカキコすると、「まだンナこといってんの?もうとっくにアタシは別のステージにいる」的反応を10〜20代初めらしい「腐女子」自称さんから頂だいた。別ステージの高見にあらせられるのはなによりではあるのだが、そうは「世間」は見ない。今回の佐世保小6同級生殺人ケースなんかみてもその封建時代は顔を覗かせる。曰く「女のナントカ」という言説で。「NEVADA萌え」とかで。はたまた、「オタクだから少女を守ります宣言」というカタチで。
そして、北田暁大氏が怒っている荒川区男女共同参画社会条例id:gyodaikt:20040616。id:o-tsuka:20040618でも纏められている。
法律も制定され建前ではジェンダーフリーになったとて、その実際は酷く格差がある。その格差が、先の「女は高校で充分」になったりもする。そーいえば、静岡等幾つかの県の公立高校(共学)の入学基準による著しい女子差別は、解消されたんだろうか?
〈女〉を囲い込もうとするのは、別に男性ばかりではない。ジェンフリ政策に脅威を感じているのは、女性性/弱者ならではの既得権益聖域を強い自己意識を持ったトランスジェンダーに侵食される(=数少ない〈女〉の砦を犯され失う)ように危機を感じる女性の方が、活動実行部隊としてより熱心だったりもする。無論これはジェンフリへの間違ったイメージではある。メディア等も女性問題としてくくりがちだが、これを「男vs女」の戦いと単純図式化するのは、問題そらしにもなりかねない。そういう意味に於いては、o-tsukaさんのおっしゃる通り「女性運動は既に勝利している」のだから。
ここでは、ジェンダーの囲い込みに使われるのが「家族」なのである。