シソーラス

文脈依存の上での「ぎじつ」だの「ぎぢつ」だのの表記遊びは別にして、語記の許容範囲をドコにとるかということは、検索の幅にもかかわってくる重要な問題だ。国語教育で「技術=ぎじゅつ」が正解という国民的認知基準だとして、そゆののナイ語句というのはいっぱいある。一番多いのが欧米語のカナ表記なんであるが、これはその言葉を原語概念そのままで使用する各ギョーカイの通例がそのまま、慣例化してる場合が多い。そしてそゆギョーカイ特有のお約束(ハウスルール)が自己身体化すればする程、そこにハマらない記述法をとる者を、奇異に感じる。
さてそんなのは、別に高尚なジャーゴンを振り回すことにかぎらず、2ch語ぱど厨といった仲間内言語=ハイコンテキイストは、どこでも発生しうるのである。「それはアレだ」的指示語で全てが通じる密着型コミュニケーション指向の場所では。「カワイイ〜」という語意がハヤルと何にでも、「カワイイ〜」と意味付与していくようなハヤリ言葉の使われ方を見ていると、そもそも語句は常に、ひとつの意味から沢山の意味を含み、それ自身が巨大化するメタ概念傾向があるんだろう。