晴耕雨読

本好きの人は「本に没頭して生活したい」という。芸術家は「作品のことダケ考えて生活したい」という。それにならうなら「しっぽ」を生活のメインにすれば、といった考えもライフスタイルとして出てくるかもしれない。そんな理想趣味生活を描くのは解らないわけではないが、しかしワタクシはそうした考えには決して賛同しない。なぜなら、それは絶対成り立たないからである。成り立たないのは、「しっぽ」の方だけでなく、その他の日常も含めてだ。
煩雑な雑事も、自己を廻していく重要なバランスのねじのひとつである。それを軽視して、表面に見えるものだけを拡大しても、歯車は回らない。事実、バブル時の金まみれメセナの恩恵を受けて、その金に見合って才能開花した芸術家なり学究者なんかいたかぁ?むしろ、金に踊って潰されて死屍累々ってほうが多いであろう。
インフラよりもなによりも「本に没頭した生活」「作品のことダケ考える生活」は、強固な意志と集中力が当人にそなわって初めて可能になる。そうでなければ、人生枯れきった余力でやるかのどちらかか。若い内にそうした自己のライフスタイルに対する方法論ないまま、このような脳内思考=理屈ばかりに偏った生活に身をおくことは、コジレ直行になるので、程々に。「暇をもてあます」程でもなく、かといって「寝る暇もない」訳でもなく、集中したり緩んだり程々に大事や雑事が絡み合って生活を組み立てればいーんだけど。なかなか思いどおりには、いかない。ままならないから「試行錯誤」の余地がでてきて、そこが面白い「人生の妙」ってんだけど、ね。
はてなではここんとこ経営の為の顧客管理とブログ内容という、量と質のハナシが、俎上にあがっているようだけど、ネット理想主義か営業収支(ビジネスモデル)かどっちに重きをおくかっていうことばっかりぢゃあなくって、そうした微細な日常とのバランスを保っていくものが、残るんだろう。で、それがささやかながらも「文化」と呼ばれるものになるんだろうな。