フリーターとは誰か

失業という言葉には、為すべきことがないというイメージがつきまとうが、失業者はけして何もしないわけではない。失業者のほとんどは、働くために失業する。育児のために失業する人や、研究や学習のために失業する人が、どれだけの規模にのぼるか想像してみればよい。失業者には、他をおいてもやらなければならない仕事があり、その仕事のために賃労働の世界から退場するのである。
…非正規でない労働者、賃労働ばかりやっている「正規」のあるいは「典型」の労働者は、何をしているのか。社会を豊かにするためにどんな貢献をしているか。犠牲を払って矢面に立ってなにかをつくったことがあるか。真に社会的な信用を勝ち得たことがあるか。一般的に言って、労働者はまずたいてい話がつまらない。社会を知らず経験が貧しく、何も話すことがないか、逆に、自分がいかに経験豊富かということを言いたがる。なにを語るにしても視点がない。話を聞いていてなんの足しにもならないし、あまりの次元の低さに頭がクラクラする。自分のこともままならないのに、責任回避だけは長けていて、腐敗している。はっきり言って邪魔だ。おそらく家庭に戻っても邪魔な人間に違いない。そういう人間にはなりたくないし、積極的に排除したい。こうした動きを、労働者の非正規化運動と言ってもよいかもしれない。

矢部史郎「労働者、有罪」現代思想2005年1月号

ハイハイハイハイ。『現代思想』なんか読むお勉強クンと年配の左派ヲヤヂにはさぞかし受けるでしょう。「次元が低くてクラクラくる労働者」はどーせ読みはしない媒体でしょうから、その中でいくら差別排除したとてその〈村〉のなか完結してる分にはなんの問題もなし、と。
しかし、「育児のため/研究や学習のため」というエクスキューズすらつけられない失業…てゆーか「自分のこともままならないのに、責任回避だけは長けていて、腐敗している」なにかヤル前から挫折してる多くのダメ学卒無業者を、追詰めるだけなんだけどー。あ、それとも自分のコトは棚にあげる=自己無謬性つーのがこの手の文章を読むときのデフォルト教養姿勢だったっけ?
てゆーか、そゆやり方=他者を差別排除して始めて成立つ自己という論の立て方ばっかしてるから、居場所がなくなるってことは考慮されないのか。「ヤられたらヤりかえせ!」つーのはアジとしてはイカしてるが、それが実践可能なのは強者なんだけどー。だから、着地しないで、言葉でいつも終わる。

労働者は、生活を豊かにしたいという欲求を満たすことができないし、むしろ賃労働と豊かさの敵対的な関係が明白になってしまっている。豊かな生活のためには、まず労働者になることをできるだけ避けたい。

だからさー、具体的にどう「労働」避けて暮らしていくのかについてスカしてないで、「労働者になることをできるだけ避ける生活の為には、特に親の資産は(忖度取引でもナンでもして)存分に活用し自己インフラ整備しよう」ってことまで踏込んでライフスタイルのひとつとしてガシガシ肯定して始めて、この媒体&左派周辺を支えてる多くのコジレ学卒無業者に届くとおもうんだけどなぁ。あ、ソレだとクライアントである左派ヲヤヂの受けが悪いのか(苦笑)。