身体論

前回カキコしたオニババ本著者が免疫学の専門家ということで、真っ先に思い浮かぶのは、多田富雄『免疫の意味論』。これは、他を排除する為に自己をも破壊してまでも自他を厳格に峻別する生理機能である免疫作用を通して、「自己」の意味と作用による影響を追求していく。その多田が編纂した、『老いの様式―その現代的省察』『生と死の様式―脳死時代を迎える日本人の死生観』『生命--その始まりの様式』というシリーズ本がある。これは分子生物学/医学/社会学/思想史/文化論/形而上学等各分野の視点から「生と死」をほりさげた本である。どうしてこういう本が出来たかといえば、80年代の終わりから「高齢者社会」と「脳死」が現実のテーマとなってきたからにほかならない。 
そんなの比較するのもアレなんだけど、オニババ本。基本的なラインとしては、主として「ココロ」=脳を中心にして作り上げられた入出力情報で完結しようとする制度や社会。もうそれがあまりにも自明のようになっている世界観/人生観。それが身体の入出力情報=身体運動をないがしろにし、その結果としてココロの宿主であるところの入れ物=身体の居場所を喪失する。そうするととうぜん身体に依存せざるをえないココロも同時に居場所を喪失する。そんなからくりを生物学者としてつついていることは事実であろう。だから、その漠たる「老い」に対する不安を「オニババ化」という言葉で言い当てられると、良い意味でも悪い意味でもヨロッと(苦笑)くるのであろう。