意味と実態

私たちの知覚は特定の方向にずれているので、すべてのものが同じように私たちの感覚や認知に働きかけるではない。
イレノイス・アイブル-アイベスフェルト『美を脳から考える―芸術への生物学的探検』

このようなところから紡ぎ出される解釈とは、客観=固定化された「真実」ではなく、まさに「事物の美はそれを想う心に宿る」@ヒュームそのものなんである。
リアリティとは、常にこうしたもののなかで再構成された事象でもある。

通常の人間の意識の明晰さは-慢性的な、当然の状態になった-なれてしまった考察とみなすことができる。なぜならわれわれは二つの意識の領域、つまり知覚と言葉の永続的関係の中で生活しているからである。
A.ゲーレン『現代絵画の社会学と美学―時代の画像』

ゲーレンに拠れば、元々絵画は「形と対象」の二層性から成立っているとするが、形(=意味)と対象(=実態)の不一致の解決の為に、思考がよびだされるとする*1
前のカキをid:pavlusha:20050223さんで、『「男」や「女」という概念記号を、事象認識のためのアンカーとして使用する話(id:hizzz:20050213)。一方で、事象認識を、概念記号としてではなくリアルなトーフとして描いた人の話(id:hizzz:20050222)。』と、とてもうまく纏められてプレッシャーかけられて?しまった(笑)が、ととのつまりはこゆこと(=理想とリアルの対の状態とそれに関係なく存在する事象)でもあるのだ*2
その思考が慣性形式化すれば「スキーマ」となり、それが論理化されれば「思想」となり、感情化されれば「モラル」となり、神格化されれば「信仰」となり、それが共同体に及べば「文化」となり、権力化すれば「正義」となるってことだよな*3
したから、得てして発見されたリアルは、思考に拠って喪失されて、理想にすり替わる*4


…線路はつづくよドコまでも。中々、野を越えられないんだけど、あ、いや、永遠に地べたを這ってるかも、新米(核爆)

*1:このことで、最近一番表象的だったのが、イラク人質殺害映像を見るべきか否か論争

*2:したから、「女の内面は女が書くべき(=書かれないから自分はそれを理解できない≒表現しない女の在り方が悪い∴男は女を理解しない状態が当然)」的言説が出てくる度に、トーフにアタマぶつけてアタマのハエ、目の霞を追い払えと、小一時間。。。>id:hizzz:20040329、id:hizzz:20040619#p2、id:hizzz:20040626、id:hizzz:20040819

*3:個々の立位置をこういう指標で見ると、自分はナニをプライオリティとしているのかそのバランスがわかって面白いかもね。>Political Compass(http://www.politicalcompass.org/、訳:id:kanryo:20050222#p3)、日本政治の羅針盤α版(id:o-tsuka:20050225)

*4:小難しそーなんだけど、ナ〜ニ、一番みぢかなのは「あばたもえくぼ」な恋愛衝動でつか。いつもながら、身もフタもなくて、スマソ。あはは。