模範的エリート

鴎外って論争好き。有名なのは、御雇外国人で契約満期で解任された腹いせ?に劣った日本を指導する西洋という偏見教条的な論説を垂れ流すナウマンに噛みついた論争だけど。そゆところに最も敏感に反応し、物言いつけ対等に渡り合おうとしたのが、鴎外だといえよう。先にあげた、「新派と旧派」論争にしても、その構造は同じである。
しかし、時にはそれが余って、妙なことにもなる。そいでもってロジックに長けてるから、自分の都合の悪いトコは避けて時には滑稽な論陣をはることも厭わない。論争の為には、あえて主題をズラした論陣を張るのが彼の特徴でもあったりした。『医閥とは何だ』というのに対する論戦の再反論の題名が『医閥とは何だとは何だとは何だ』なんだもん。ひやっははは。ブログ、カキコしてくんないかな鴎外。いーキャラだぁ。国家、もしくはそこに住まう日本人の「名誉」と「誇り」の為に、なんであれ鴎外は自らが泥をかぶっても、とにもかくにも戦おうとするんである。一億総無責任がデフォルトの昨今、そんな人は、確かにいない。
「降りる系譜」id:hizzz:20040324#p2をたどらなくとも、大体、文学なんかヤルのは、近代以降の日本では落ちこぼれの階級エリート=高等遊民と相場が決まっている。ところが、軍医総監まで上り詰め上流社会の連中と対等の立ち位置にいた文学以外の経歴からしても、鴎外は名実共に知識階級のトップエリートであった。やるせないルサンチマンでもんもんとせざるを得ない文士連中にとっては、そのキッパリ整然とした鴎外の立ち姿はさぞかし垂涎の的であったに違いない。三島由紀夫は「鴎外は鴎外だった。それは無条件の崇拝の対象であり、とりわけ知識階級の偶像であった。」と、「山の手芸術の規範」とまでいう。
ぢゃ、鴎外は完璧だったのか?無論そうじゃあない。鴎外的在り方をして完璧勝ち組と想わなければならない、三島的知識階級の在り方を含めて、これも又日本近代の特異性=西洋コンプレックスの現れてるトコなんではないだろうか。