具体行為に到るプロセス

さて、動機=欲望があれど、吟味されて抑制されることもある。が、それが能動=具体的行為に迄行くためには、いくつかの段階をクリアしていったと見る。次にはそんなプロセス(1〜3)と「モラル」の変遷(:→)を考えてみた。

●自己正当化(全能感)=無限の権力願望
完全コントロールする無欠な自己と、完全コントロールされる無力な他者
群をコントロールするパワーに満ちた自己

●全能感欲望の基底
1. 現実的にどうしようもない無力・欠如状態を深く意識している
2. 「あるべき理想の自己像」=観念と、「ありつづける現実の自己像」=事象のギャップ
3. 理想自己に一気になれる=超人/聖人への変身可能な方法論があるハズという発想に置換え
→自己感情の「モラル」化

●全能感欲望能動=超人/聖人への変身過程=ヒエラルキーの可視化
過去の支配被害体験を、投影性同一視でもって癒す
1. 自己美学=超人/聖人倫理の表現に拠る具現化
2. 強者の甲羅=タフ/マチズモ的言動による自己パワー確認と、さらなる勢力拡大
→「モラル」の実証化

●他者支配侵略
合理的自己勢力拡大戦術に、その場を支配している既存倫理=権力序列を利用
ターゲット(ハラスメント対象者/内容)条件
A .自己全能感を邪魔する者:被害/憎悪感情
 ・自分に共感同調しない者=異者/他者(=承認されない自己)
 ・過去のみじめな自分を反復する者(=同族嫌悪=投影性同一視)
B. 自己損失を被ることのない、安全パイであること:自己保身
 ・反撃しない者
C.「支配している既存倫理」から孤立してること:自己権力行使可能
 ・主流派閥に属さない、はみだし者
D. 自己全能感=既存倫理の利害が一致すること:自己正当化根拠
 ・「みんな」同調アイデンティティによる全能感共感を犯す者
→「モラル」の「ルール」化:モラル・エージェント化

●執 着:ストーカー、ドメスティック・バイオレンス
1. 「ターゲット排除」という具体的行動目標の可視化に拠る「無力・欠如」思考停止
2. 実際にパワー反復耽溺する「快感」行動という自己充足の持続
3. ハラスメントすることによる自己補完(自己安定)、依存方法の慣性化
4. 自己に沿わないターゲットの「倫理の無き」言動で引き起こされる自己不全感
5. ハラスメントをもってして制裁/しつけとする、自己美学=倫理秩序強化→自己回復
→モラル・エージェント行動(監視&制裁)による自己実現


通常、いじめ/ハラスメント/因縁づけ/囲いこみ/暴力/侮辱/脅かし/罵倒なんかする者は、「モラル」なきDQNである…というのが定説であるが、ワタクシはそうは見ない。なぜなら、上記でさんざんカキコしたとおり、そゆコンフリクトを能動するものは、むしろ「モラリスト」なのである。その者が信条としてる「モラル」が一方的で教条/強圧的であることには違いない。が、しかし、そもそも「モラル」というのは、特定間の慣習がルールとなりモラル化されてる場合が大半で、特定間の慣習=なんらかのひとつのラインの上にしか存続出来えない前提を持つ。過去の数多の神学論争、宗教戦争を見れば解るとおり、どのような正統かつ公平さを装うとも、必ず誰かしらの生活とコンフリクトを起こすものである。世の中が、こうした「モラル」「正義」「連帯」を声高に叫べは叫ぶ程、実は、コンフリクトを発火させてるという事態に陥る。なぜなら、違う立場の逃げ場がナイからである。

コンフリクト(いじめ/ハラスメント/因縁づけ/囲いこみ/暴力/侮辱/脅かし/罵倒)とは、結局、特定「モラル」強制に拠る、多様な〈個〉別ライフスタイルの圧制ということがいえよう。


さて、これを確認したところで、又ハナシは近代の、橋田壽賀子の世間になるのぢゃ(あくまでも、ワタクシの気がちらなければ)。。。