堕落のロマン

ゴシップ三面記事(=大衆の欲する堕落のエロス)をつなぎあわせた〈女〉を描いた小説に『嫌われ松子の一生』山田宗樹というのがある。
良い子=従順な優等生美人が状況に翻弄され転落し非業の死という転落物。その翻弄とは、中学校教師→レイプ未遂→盗難ぬれぎぬ→出奔→ソープ嬢→殺人→服役→美容師→ヤクザの情婦...。
「負け犬」だの「オニババ」だのにビビル良い子な方々は、さぞかし胸キュンだったり怒髪天で煮えくりかえったりしてるのであろうさまが、ネット上の感想文で拝見できる。で、作者含めてナニにそんなに一喜一憂してるかって思うに、「良い子の破綻」てポイント。「良い子」は好きだけどその「良い子」がくずれる様が、なによりも好きってこと。したから、松子はちいとも「嫌われて」ナイ。
じぶんが嫌うような破綻、いわゆるつけいるスキのある「〈男〉好きのする女」っぷりをいかんなく発揮することを繰返し、好かれて状況展開する人生の方法論が描かれている。無論、こゆ方法論を採用して下さる〈女〉は、享受側にはたいへん都合がよろしい。都合わるいことは全部〈女〉のせいに。20歳からの転落人生をさんざん執拗にカキコされた主人公は、40歳になって生理が止まり男関係も無くなったとして(爆笑)、それから死ぬ迄の13年間は不明になったとして、そうして作者にも捨てられる。
いや、だからー、『ボヴォワリー夫人』の昔からロマン文学はそんな深刻ぶった〈女〉、「賢くてエッチ(でもオレ様よりバカ」)が、大好き=セックス・コンシャスなんだって。