女性国際戦犯法廷

前に「女性国際戦犯法廷」を巡る NHK vs 朝日id:hizzz:20050213をネタに、自分たち以外(制度外の第三者)という存在を喪失しているとカキコした。それは、このバトルの元となった「女性国際戦犯法廷」自体にも当てはまることである。
それに対してこの法廷のボランティアをした者から、「慰安婦などの当事者は高齢化して今しかない」という意見を頂いた。しかしそれは感情論でしかない。ワタクシが問題とするのは以下の点だ。

1.開催前から「天皇裕仁)有罪」帰結が容易に推測できるイベであること
 原告と被告の扱い(証人・弁護等の人員)に著しい差があった
2.「国際戦犯法廷」の戦後日本の歴史性を無視してること
 数多くのBC級戦犯が、安易に処刑されていった事実に配慮が欠けている
3.有罪の中身は「道義的責任」
 民主主義下の法律では、「道義」はそもそも思想信条の自由に値し「道義的責任」は問えない
4.目的は手段を正統化しない

民主主義は手間と時間がかかるのが難点。だからといって手続きをすっとばしていいというものではない。自分の正義=思想信条の為ならば多少の手段の荒さは正統化されるべきだという意見は、そっくりそのまま見方を変えてみえば、糾弾するところの権威主義と同じことをやってるにすぎない。感情論を振り回して異者他者へのデリカシーに欠ける共感論(一心同一体)は、ファシズムでしかないぢゃん。
そんな「判決」だか「論理」だか「共感」で無理やり権威づけられる「慰安婦」は、なんだかとっても不幸である。フェミニズム*1はそんなコトを目指してきたのか、とがっくり。。。

*1:流石に上野千鶴子は開催前に逃げたようだが