武力解体

「天命」を受けた子孫(=徳川家)によって完成する社会。封建身分固定制。「天下」がメタ的に生涯身分保障してやる代りに、実力行使な「下克上」ダメとなった時、ではいかにその「天命」とやらを衿を正して受け入れるか、ということが武士問題となったんだな。そして、今更生死をかけて一から倒幕するしんどさより、その衿の正しさ=「居ずまい」を身に付けることを、タダのアタマが筋肉な用心棒ではない「武士」のアイデンティティとすることを主題においた。
そうすると、「武士」という立場そのものの矛盾がでてくる。なぜなら、刀=武力行使、おいそれとは使えないものになったのに、無用の長物、それを携帯誇示出来ることが権威という支配階級となったからだ。今でいえば、核兵器みたいなモンか。しかし殺戮者から武力行使取上げたら、タダのヴァカ…といったらアレなんだが、そういう矛盾はなんとかしなくちゃ、江戸封建社会は固定しない。
自らの下克上な来歴=生死不安定それ故に、朝廷/幕府=権威に身分保障を求めたんだし、そうした戦国時代の下克上過程に於いて、他者階級との交流があったからこそ文化教養ナイ「粗野」な己の限界を知る。しかし、国内の体系づけられためぼしいものとしては、大和文化と仏教文化位しかない。もうそれは古い、時代は変わったのだ。朝廷貴族でも坊主でもない、それに対抗する新たな身分「武士」として、外来の朱子学をもってして、やっとこさ格付けられた。「下克上」社会を家康で打ち止めして払拭するには、そこまでして、やっと幕藩体制がシステムとして完成する。