思想の源泉

江戸幕府イデオロギーがこうした帰化中国人のロマンと挫折による情熱にインスピレーションを得ているものならば、明治も又、「御雇外国人」によるそういうハナシはごろごろしている。むしろ、そうした異境の地で露になる自己のロマンと挫折だからこそ、文化圏内の自明を越えて凝縮したエッセンスになり、目新しいものは、それだけで目立つものだし、それで伝搬するのかもしれない。しかし単に目新しいダケであったなら、その表層ダケを消費して、次の目新しいものに取り換えられていくだけのこととなる。
が、それが部分的にも異文化で定着を視るのは、伝搬者の折り込む個人的ロマンと挫折こそがもっとも他者文化を引き付ける接着剤となりえ、それが「独自文化」に発展する契機となっている。そのような史実は、伝搬思想の立位置方向の左右上下遠近には関係なく、「皇統を正閏し人臣を是非し輯めて一家の言となす」倫理(AならばB)が破綻して初めて生成されるという、なんとも皮肉な様相も呈してる。しかもその倫理思想みたいなのが最も活用される場面は、権力に近付きながら権力を得られない時ってことに集約される。
だとしたら、現代の多様性の中で「倫理」「正統」「普遍」に比重をかけることとは、理想主義は破れることにその意義が出てくるというハゲシイ論理矛盾をかかえることと同義となりえるんだろうな。
だからこそのポスコロ&カルスタだったりするんだろうけど。こうして自己の来歴=日本生成をみれば、「オキナワ」とか「在日」ぢゃなくって、在る意味「日本」それこそがポスコロ&カルスタになる課題ではないかとも、思う。
とまれ、現代でも立位置方向の左右上下遠近には関係なく「倫理」「正統」「普遍」とかを声高に主張しつつ排他的な序列をつけだす時(=権威政治化)は、その発言者の認識する立場があんまりよい状態でないのは確かなんであろう。