近代的主体の未成立

近代化の不徹底(遅れ)と近代化の徹底(最先端)との間のねじれた短絡関係を強調する「労農派」的思考というのは、良く判らないなぁ。近代的な主体が完全には成立してない地域は今も沢山あるだろうに、そしたらなんで日本はそれを超越した?というんだろうか?なんか関連書あったら教えて下され>エライしと
ワタクシは、教科書に墨塗りしてやり過ごしてきたように、元々戦前も戦後もカタチさえ整ってれば内面は問わない「ええじゃないか」で全てやりすごしてきたノンリニア庶民が大部分で、むしろ勝ち負け等の上昇志向をもった一部の中産階級がリニア的に一時的に舞い上がったりしたって方が、リアルに感じるのだけど。
たまたま、昔のカキコid:hizzz:20031128「永遠の12歳」にid:naozaneさんよりトラバを頂きまして鳥頭なワタクシも思いだしたんだが、観測球を挙げて兆発する社会学なセンセイ方より、この麻生太郎の漫画語りの方が全体的な流れをうまく把握しているように見えるのは、彼のエスタブリッシュな立場からなのか、それとも政治という人と人との間という身もフタもない調整現場にいるからなのであろうか?