1.社会との関係

なんか自分にとって「敵」と言うと、正面からガチンコでぶつかる相手というイメージが強いから、hizzzさんが切り捨ててはいかんぜよと言っているのは、「敵」という言うよりも、敵/味方が対峙する敵対関係には直接入ってこない、もしくはそこから零れ落ちる、第3項としての「ノイズ」(背景文脈)という気がしマス。ガチンコのイデオロギー的な敵対関係に関しては、政治学者のコノリーが、それが硬直しないようにするためには、敵の中に見習うべき味方を、また味方の中に自陣営を堕落させる敵を見出して、敵対関係を限りなく微分化させていけ、と述べていたのが参考になると思う。それに対して、敵対関係の外部に位置するノイズを自己変容のための有益な「触媒」とするためには、下手にそこに敵対性を見て取らないようにするのが肝要なのでしょうネ。で、そこで厄介なのは、思考のエコノミーによって「それはオレの話とは関係ない!」と「切り捨て」ただけで、敵対性が発生してしまうという点デス。切り捨てられた側は、そのことによって対話する権利を奪われてしまったから、それを何とかしようとして異を唱え始めるのですから。このようにして、余計で偽りの敵対性がネット上では増殖・繁茂しているような気がしてならないのですが、それではどうすればいいのかと言うと、特に妙案はありませんが、まあとにかく、元々は潜在的・地平的なものであった、共時的な背景文脈を、高速で、自らの興味関心や立場との関連を明らかにしていくというかたちで、通時的に顕在化・主題化していくスキルを鍛えていくしかないんでしょうネ(って、殆ど何も言っていないに等しいか…)。