問題解決

なぜなら、「抵抗」は問題解決にならないからだ。むしろ抵抗論ばかり跋扈すると、問題解決の抵抗=ストッパーにもなりかねない。これでは本末転倒もいいところだ。抵抗運動するなら、「どう抵抗するか」よりも少なくとも次の手立てを考えて抵抗して欲しい。それで初めて抵抗が活きる。ところが、どうも多くの運動は、「抵抗」だけして力つきてるか飽きてるかしている。それで運動史のページには「○×抗議集会開催」という主催者表現ダケ、ひたすら積み重なる。だから、それで開催してどういう成果があったのか/失敗があったのかという第三者的検証はなされない。一定の成果はあったと自画自賛する運動史もまったく無いよりは、はるかに有りがたいのではあるが、そんなに成功しつづけてるというのなら、現在の世の中はすごく良くなってきていなければならない。
…ま、排他的セクト運動には第三者の入る余地がないという側面もあろうが、それでは、少しも実例は把握できず学べないので活かされない。そんなことの繰返しでは、運動が断絶しててあたり前だと思う。それは何よりも左派が問題としてる東アジアの断絶した歴史と、まったくその構造は同じではないだろうか。>id:hizzz:20050521