マニアvsオタク

「何かに深くハマり過ぎて社会性をなくし、女性とのコミュニケーションもうまくいかなくなってしまったオタクたちの歪んだ支配欲が、メイド服に向かったとき、それを「萌え〜」と呼ぶのかな」と、昨今の萌えブームに疑問を投げる大槻ケンヂ。彼は「社会性があって商売にならないのが「マニア」で、社会性がなくて、莫大なお金を生むのが「オタク」。」と定義する。

「萌え」も含め、セクシャルなことに結びつくオタクは「産業」と成り得る。お金を生むじゃん! という構図が90年代から現れてきたと思いますね。今や世界に広がっているオタク文化の凄さは、そこらへんにあるんじゃないかと思いますね。巨額のお金を生むというあたりにね。
でも、マニアというのは、地道で、逆にセクシャルなところから逸脱した、世捨て人的なところに面白さを求めるから、お金があまり大きく派生しないんじゃないかと思います。
…本来の、自分の中に閉じこもるような内面世界を最優先するはずの「オタク文化」が、大企業により大多数の人たちに受け入れられるような大衆文化になる、という逆転現象を起こしてしまいかねないですね。
大きくなりすぎて「産業ロック」なんて言われるようになってしまった80年代のロック界もそうだったですからね。本来、競争主義社会の階級闘争に組み込まれないために逸脱し、ロックをやっていたはずが、地位や名誉やお金を得るための道具にされてしまったという過去があり、「それじゃ、いかんのじゃないか!」ということになって、パンクなどが出てきたという経緯がありますからね。サブカルチャーメインカルチャーになって、そこからまたカウンターカルチャー(対抗文化)が突出するという現象が起こる。今のアキバオタクの世界もメインカルチャー化し、ビッグビジネスになってしまったんで、そこから、突き抜けた訳の分からないようなものが出てこないとまずいですよね。そうしないと世のオタクは資本主義の手先にされちゃう!(笑)

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元々オタクは、余剰資本が潤沢にあって成立できうる趣味行動なんであって、いわば資本主義の大道そのものである。世間では、その生態がキモいのダサいのいわれているが、サブカルのスノッピーのようにトレンドに振り回されて自分の趣味趣向をくるくる変えたりせずに、コツコツと構築するその生態は、いまや生活形態としても一番手堅い消費購買者なのである。だからこそ、死屍累々なサブカルチャーの中で、命脈を保って生き延びてこれたともいえる。しかしその一方で、大槻のいうカウンターカルチャーとしてのDIYをひきずった旧き良き理想論的オタクの在り方は、前にカキコしたようにとっくに崩壊している。>id:hizzz:20040319、id:hizzz:20040109#p3
「市場」=トレンドの外の余剰にmy付加価値を見いだし邁進するきわめつけの個人主義者がオタクであったのだが、昨今の不況やニーズの分散化で「市場」自身のパイが狭くなった時、その境界上にふらつく、ライトオタクという徒党をくむ従順な消費者を市場が見いだしターゲットにすえたということであろう。
宮脇社長のアキバから逃げる濃いオタクということを考えると、オタク度が薄くなって市場に捕捉されたというより、従来のサブカル(&その予備軍)になるような層が保守化してライトオタク*1になったのを、市場が追いかけてきたというあたりが正しいのではないか。

*1:コンビミや書店で食玩やアニメ本を大人買してコレクトしてる層