萌える男

あまりにもツッコミどころ多い、本田透『萌える男』

イキナリ冒頭からかます萌える男は正しい」宣言。煽りすぎ。そんな押し出しはマズいだろー。たとえそれが、孤高の非現実だろーが、ハタ迷惑なオレ様妄想だろーが、そもそもマスターベーション〜複数関係を伴った性行為を実践するセックス・コンシャスを含めたライフスタイルとその多様な選択枝は趣味の範疇、個人の自由意志。各自勝手に(自己責任で)ラヴラヴになるなり燃えるなり萌えるなりサメるなり萎えるなり降りるなり諦念するなり絶望するなり無視するなりして観念してれば、それでいーのである。正/不正をハク付けすることがらでは毛頭ない。
なのに自己正当化を主眼としてしまったトーンが濃厚な本書は、『電波男』『電波大戦』とは違って、その分だけ無理に無理を重ねて至る所ベタとなったネタの再構築を「脳内妄想」に束ねるという方法論の飛躍強調に始終した結果、論証放棄となり、非モテルサンチマンで息苦しい読後感を与える。

岸田幻想論を根拠に「(恋愛資本主義的)恋愛」の虚を言い立てているのだが、その論理スジでいくのなら、一方的独我論でしかない「(脳内)恋愛」はさらに大いなる虚=幻想でしかない。で、さらに西欧キリスト教的恋愛(結婚)観だの、ニーチェだの吉本共同幻想論まで出てきて、はー、大騒ぎ。前提を別視点でもって検証したり検討する道ではなく、とにもかくにも今の自分を肯定させる前提を存在させる為に必死になっている。「萌える男」ぢゃなっくって、「アタシがいて、このアタシが考えることがアタシの存在証明で、それは正しい」ってことなんでしょー。要は、ワレ想う故に在るワレ…っていうアレだなー。