〈乙女〉の使用方法

〈乙女回路〉を持つ萌える男だからこそ、女性に優しく純情でDV等の犯罪を犯さないと書かれてるが、これは一番頂けない。乙女ゴゴロが判りそれを実践してるから、現実の女性に優しいって、なーんやその押しつけわ?女性は生む性=母性を持つからこそ優しく平和な存在だっていう論調と同じなんだなぁ。だったらナンデ〈乙女回路〉男は、そんなにも理解してる筈の女性と対等の個人了解がもてなくて、ギスギス脊髄反応して「神聖不可侵な絶対論」をこしらえなければならない程、足場亡くしてコジレてくるんだぁ(苦笑)>id:hizzz:20050829 過去にさんざんカキコしてきたが、そもそも〈乙女〉もしくは〈少女〉なる概念は、筆者がさんざん批判してきた西欧キリスト教文化からなる女学校から来歴したもので、それは近代資本主義的〈男女〉思想である。id:hizzz:20040524#p3。
特にメイドや妹萌え等の、落差ゆえに萌える非対称なあやうい関係ラインに対する、「萌えは恋愛および家族を復権させようとする精神運動」主張は、かっての「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言と同じ臭みがする。ヒギンズ教授がイライザとの関係を正当化する為に等々と開陳する論理(映画マイフェアレディ)である。そしてそれは90年代のナイトを気取った「フェミ男」のマチズモ(フェミニズム理論をも完全に解してやれる思いやり溢れて慈悲深いオレ様は全知全能の尊父)と同じ轍を踏んでしまっている、素朴な共同幻想の現代転用そのものである。id:hizzz:20040405#p3 したから平等主義フェミズム=他者への反撃ー体制保守論となり、その対処法は本田の過去本では「護身」と表現されることで、かろうじてセンシティブなライン引きしたようにも見える、棲み分け的論調だったのだ。
が、今回なにしろ「正しい宣言」してしまっては、ジェンダー上下構造を自己使用目的でもって肯定するソレ(自己支配貫徹の為の従属支配形態の決定権を自己が握った上での再分配固定構想)は、ドコまでいってもDV者が繰り出す典型的支配論=アメとムチの主観論でしかない。所有可能性というのは破壊可能性も意味する。だからこういうカタチをとる正当化論は、(たとえその論者の性別や性的志向性がどうであれ)常に恣意的なものであり、万人に通用出来うる普遍とはほど遠い。目的と手段の関係は、それが予め決定された目的に対して適切(有効)か不適かどうかというミニマムなプロセスにダケ問題となることであり、目的は手段を正統化しないし、その反対、手段=〈乙女回路〉=形式も、目的=脳内妄想=内容をなんら正統化しないからだ。トランスジェンダー的な意識や「〈弱者〉配慮」を全面に押し出したとしても、それは他性に対する自己無謬性の証明=自己責任性からの離脱と自己正当性には、1ミリにもならないが、世間では実にこの手の摺り替え論をもって良しとする向きが多い。