オタク女子の消費のされ方

杉浦由美子『オタク女子研究 腐女子思想大系』が、同人女子を中心に大激怒&祭りをひきおこしている。まとめサイトid:cachamai:20060330
内容は、いくつかの自説に都合の良い現象をチョイスした上でカテゴライズした女子生態と「オタク女子」を比較してオタク女子賛美するというもの。…と、カキコすると、あの本田透萌える男』と同じ内容ぢゃんと思うかもしれない。「萌え」に対する「受け攻め」という原動ポイントや、大風呂敷広げて「自己賛美」する為に他者を動員してこきおろすという手法は同じではあるが、しかしこれは似て非なるものなのである。
オタクの全てが、萌え/アニメ&ロリコンでないのと同じように、オタク女性も色々いるのにもかかわらず、「研究/思想大系」とまで大きくでた割には、あまりにも多い誤記がオタク偽装疑惑を呼んでいる(版元が版元だから…という声もあるが、なんであれ最終校了責任は著者本人だしなぁ)。
まー、そもそも、表紙のメガネっ娘イラストからして、これがドコをターゲットとして書かれているのかは明白である。本屋で目にしたときに、ああ、またこの手のやつが、、、(苦笑)って感じ。オタク男が萌える「オタク女子」がカキコされてる本だから、現実の数多のオタ女から乖離してるのである。オタク男性をこきおろしたり誤解してる部分をもって「誰に対しても失礼 」 という意見をもたれてる方がいるが、しかしこれはオタク男性的にはOKなんである。「高慢」「ツンデレ」という萌えラインとしては。同時にオタ女によってこきおろされる「負け犬 」「 文化系女子」の「内実」 、、、やっぱり(=オレ様よりバカ)と溜飲をさげれるから、出版&想定消費者的には完結してるのである。萌えには萌えネタで売れ。しかも、こんなにネットでさわぎになれば、どれどれどんな本かと釣られる者も出てくるであろう。
本田本は同類(萌え男)に向かってカキコされてるのに比べて、杉浦本は「女の生き方のひとつとしての腐女子」といいつつも女性にはスタンスはなく配慮に欠け、逆にオタク男性へのサービス満点な記述と共にヌルイ誤記を重ねて事情通と自称してるトコが、ダシにされた者の不快を買うのである。編集者はシャレとエクスキューズに走り、女のホンネを語ります風な著者ブログでは、ダシにされた同類ライターの批判コメントを削除したまま返答なしという現状、腰がすわってないマズい対応では、本は話題になれども著者の姿勢すら疑われてる始末。

どうしてこんなに 不快 なんだろうなー、と考えた末に気がついたのだけど、この人は「 オタク /腐女子 活動」として「お買い物(消費)とお喋り」しかしていないのだ。何かにぐっと来て、それで自分でも 小説 とか 漫画 とか レポート とか評論とか書いてみようかなー、 同人誌 とか サイト とか作ってみようかなー、という発想はない。そういうことにちょっと手を染めてみれば気がつくはずの、(私の考える) オタク文化 で最もエキサイティングな部分は無視されている。すなわち「 オフィシャル な言説」とは別の価値体系が作られていく面白さ、作る人とそれを受け取る人の距離がとても近くて親密だということ、「型」がある故に消費する側から発信する側に転じるときの ハードル が低く、それによって思いがけない表現が出てきたり、 オリジナリティ とは スタイル とは何かという問いが鮮やかに立ち上がること。などなど。

Tigerlily Scribble
http://d.hatena.ne.jp/Tigerlily/20060330#p2

方法論的動機が当人にないという、生産者としての致命的欠陥を指摘しているのであるが、性別関係なくこれだけオタクがメジャーになりすそ野がひろがれば、文化系ならずともサブカルショピングと漫画イラスト書いて「〈モテ〉のための〈ツール〉」としてオタク自称する人もそりゃ沢山いるね*1。「やおい腐女子〜喪女」という自称には、消費することへの矜持(原作へのオマージュ)とエクスキューズの両方があるとおもうが、もっぱらエクスキューズの意味で使うそんなライトオタクの方が今や主流であろう。そもそも真性オタクのほうが自分達で自分を隔離し規律たて結束して「対象」を守っている状態なのだ。そこにこそ核心があると思うのだが、それに対してライトオタクや杉浦本はあまりにも鈍感であるというのが、真性オタク達がいきりたち排除したい原因に見える。>サブカルの変遷 http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20040109
スタイルで線をひくとすれば、目まぐるしく変遷する流行を取っ替え引っ替えすることで充足したい消費型ライトオタク(サブカルスタイル)と、表面的スタイルとは別のトコにスタンスを持つ生産型真性オタク(元祖オタクスタイル)ということか。しかし「思想体系」と表題だしつつも真性オタクに対するデリカシーに欠ける杉浦本は、こきおろす「負け犬」と同様の消費価値スタイルとしてしか「オタク女子」を記述しない*2。しかし当の生真面目なオタク女性がなによりももっとも忌み嫌うのは、「オタク女子」ということダケで、そうした「消費される対象」にひとくくりされることなのである。しかし、ここらへんの思考がこれまた誤読されて「女同士の叩き合い」ということで、どこまでも「消費される対象」にされかねない。それこそ「もっとも恐れていたことが起こった、という感じです。」http://taimatsu.cocolog-nifty.com/ionisation/ ということであろう。
オタという自由 id:hizzz:20040329
オタ的存在  id:hizzz:20040405
変化するアキバ id:hizzz:20051002

*1:伝統職人芸な芸術系と表現文化系(カルスタ)の差みたいなもんか

*2:「女子」ってことで、せいぜい20代前半のオタクをメインとしてるのであろうから、オタク第一世代に多いDIYより、「萌え」派のターゲット、サブカルライトオタク女子が本の焦点だから、オタク女性の多様性は網羅する必要がない。