アウトプット

さて、たとえ考えらる限りの自己立証して万全だとしても、他者に耐えられるとは限らない。視点を変えた外部検証が必要である。どうするかといえば、〈表現〉を展開するアウトプットである。いくらアタマの中でぐるぐると論をめぐらせ仮想対話させていても、それは単なる夢想の域を出ない。アウトプットして〈表現〉を実動させて初めて判ることも多々ある。観察→判断→仮説→立証のプロセスでも、岡田本/畑村本共に、アウトプットが奨励されている。「才能埋蔵マップ」@岡田本、「思考平面図/思考展開図」@畑村本という風な図表(サムネール、シラバスを括ったような概念構造図)にして、全体のバランスを何段階かに分けて検証するのである(項目出しされたアイティムを並べ替えたり区分けしたりして纏めてくKJ法的やり方)。
自分=思考(論理)を、アウトプットすることで自分と思考と〈表現〉(=成果物)とに切り分けて、あらためて外部からそれを段階的に観察するといった感じ(客観性の導入)であろうか。そしていったん分解して検討したそれらのパーツを思考「統合」=再構成してはじめて生成されるものが〈表現〉となる。それを他者に自己投企するというアウトプット=実践で、初めて〈表現〉がそれ自身として立ち上がって廻り出す。自分の手を離れてコンテンツとして(エクスキューズなしに)自律すれば、〈表現〉は社会性を獲得する。社会性を獲得したその〈表現〉は方法論として、別の事象の適用に耐えられるものとなる。
特にアカデミックな修練をしてない職人が、門外漢の事象を表層に惑わされず本質的を見抜く力=直感力を発揮する場合があるが、それは社会性ある方法論をその職能を通して、羅針盤として体得してるからであろう。言語論理的表現が出来ないだけで、その直感は実は精巧な実践論理の積み重ねの賜物なのである。観察〜検証の繰り返しで得られた知識とはそういうカタチで知恵となる。そして、学びの本質もそういうところにあるのだろう。
岡田本で引用したスティーブン・キングの「ナイフを研ぐこと」という一説、研鑽という行程の重視は、この仮説立証作業を指しているのであろう。大事なのは、ナイフをアウトプットするだけではなく、アウトプットして研いでいく=動かすことなのである。実際に対人間に投企することによって体感・実績を積んで、観察→判断→仮説→立証にフィードバックさせるという螺旋状運動のなかで〈表現〉はブラッシュアップするのである。

「千三つ」という言葉があるように、はじめからうまくいく確立など千回に三回程度しかありません。新しいことに挑戦したり何かを生み出そうと動きだしても、結果は99.9%の確立で失敗に終わる可能性が高いのです。しかしながら、こうした失敗は決して無駄ではなく、むしろその人にとっての貴重な体験になります。失敗をすることで「これは危険だ」「この方法を使うとひどい目に遭う」ということを痛みとともに体感・実感することができるからです。また、その悔しさをバネにすることで、より多くの知識や経験を自分の中かに取り込もうとする意欲を持つことができます。これが得てして世間からネガティブなイメージで見られる失敗の本当の姿であり、創造力を高めるうえで欠かせない失敗のポジティブな一面なのです。

『創造学のすすめ』畑村洋太郎ISBN:406212158

人生にはなにひとつ無駄なことなんかありゃしない。死屍累々という大資産をホカシしとく手はないのである。地に足をつけて、まずそこの発想の転換から初めてみるのは、どうであろうか。>id:hizzz:20050702#c


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