流動化と国家

20年の除斥期間が過ぎた「昔のこと」とスルーする訳にいかないのは、そこに歴史を越えて食べて行かなければならない生身の人間が存在しているからだ。
元々移民の目指した大規模プランテーション経営というものは、只食物を大増産出来ればこと足りるのではなく、それがハケなければ意味がない。受容と供給とそれを結ぶ流通の関係の取結びが連動して初めて成り立つ。消費社会での農業は、天候のみならず、国際相場での先物取引き(青田買い)が相場の全てを決定する投機事業でもある。相場と作付地の天候を読んで青田を売ってから種を巻く。今や農業は、情報産業そのものである。たとえ移民募集要項通りの土地でも、細々とした日本式3ちゃん農業方式をそのまま現地に持って行っても、事業としては回転しないのである。その間のどっち着かずで、組合等の言いなりに借金を重ねて生産重視で消費社会にフレキシブルな機動力を持たない中規模農業が、一番あやうい。残留して農業や事業を軌道にのせても、1980年代の経済恐慌、1997年頃からの通貨危機で資金繰りに息詰まるひとが出てきて、日本に出稼ぎ還流することになる。

貧しい移住者には借金の返済が不可能なため、JICAは借金の借り換えを勧め、子供たち(二世)連帯保証をつけて、事実上、債務を次の世代に押し付けている。物価水準が日本の十分の一以下というドミニカにおいて、移住者の中には、1000万円を超える多額債務者が相当数いる。親の借金を返済するために、多くの二世たちが日本に出稼ぎに来ざるを得なくなっている。ドミニカ移住者社会全体がJICAからのサラ金地獄さながらの借金地獄に苦しんでいるといっても過言ではない。

ドミニカ日本人移民裁判支援基金
http://www.dominica.jp/

判決を受けて検討されてる二国間援助として他国に渡るODAでは、救済実務責任を相手政府におしつけるだけで、こうした多重債務者が債務清算出来うる可能性は限りなく低いのではないだろうか。
満蒙開拓団は「だれでも二十町歩の地主」、ブラジル移民は「コーヒーという木には金がなっている」、高等拓殖学校は「アマゾンの秘境を若き力で理想郷に変える」、そしてドミニカ移民は「カリブ海の楽園」というお題目が唱えられた。産めよ増やせよ王道楽土の夢のハテの開拓たらい回し、これは「国策」以外のなにものでもないのである。
移民問題と言えば、現在は専ら在日外国人の人権ばかりが問題になるが、これはそうした「隣人の他者」のハナシばかりではない。イラクでは自衛隊は撤退を開始したそうだが、国内外の人権保障政策ということを視野に入れれば、これはPKO問題ともリンクする。また、始終この問題に潜む根本的なこととして、マジョリティラインを外れ流動化するコト/ひとに対する「排斥」の上に固定結晶構築化する共同体=安定をもってして良しとする価値感は、情勢に対しては無論、共同体内に於いても本当に有効=ベストなのか。こうした移民の世紀でもあった20世紀の落とし前を国民国家はどうつけていくか、そうした国家制度と文化と個人(アイデンティティ)の関係の自由度等、この問題の持つ意味は果てしなく重い。
とまれ今生きているひとを大切にしない共同体や制度なんか、現在叫ばれてる少子化政策も未来もクソもあったモンぢゃあない。
相田洋『航跡―移住31年目の乗船名簿』ISBN:4140805897
満蒙開拓団」は国策 政府が答弁書
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-15/2006061504_07_0.html
外務省 海外移住審議会「21世紀の日系人政策」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/shingikai/ijyu/index.html
第1回参議院政府開発援助(ODA)調査派遣報告書
http://www.sangiin.go.jp/japanese/koryu/h16/h16oda-houkoku05.htm
ドミニカ共和国移住問題
http://www.sangiin.go.jp/japanese/koryu/h16/h16oda-houkoku30.htm
ブラジル連邦共和国における日系人支援
http://www.sangiin.go.jp/japanese/koryu/h16/h16oda-houkoku31.htm