被害の定量評価

「いじめと認識するか否か」「自殺との因果関係」で対応迷走しセカンド/サードハラスメント化して、世間の格好のバッシングネタと化した学校&教育委員会のケース。一見不可能そうに見えるこの問題の定量評価は実は存在する。いじめをハラスメントとワタクシさんざん表記しているとおり、セクシュアル・ハラスメント/DVにおいて最もそれは実践吟味され多くのガイドラインが作成運用されている。セクハラ/DVは男→女間の行為と固定観念化してはいけない。ナマイキな奴をヘコませて従わせてやろうという中には、相手に恥辱を与え優越感を得る行為のひとつとして同性間の性的虐待が行われる。また、見知らぬ仲であればそれは痴漢や障害となるのに、顔みしりの集団や酒場等での同様行為はしばしば無礼講と勘違いされる統治権力者がダブルスタンダードを使い分ける様も、同じである。なによりも被害者が集団の中で苦しむのは、個人の尊厳か連帯モラルかのダブルスタンダード的理不尽で出口がないことである。
男女参画ということで、企業にはこのセクハラガイドラインと運営機関の設置が法的に義務づけられ、総務部などがクレーム対処している。更に最近はCSR(企業の社会的責任)の括りで、ダイバーシティ(多様性)というマイノリティの価値を積極的に認めて組織を活性化しようとする運動を採用する人事部が出てきた。
そうした多視点に依る価値評価の試みから一番閉ざされているのが、権力上下構造を存在根拠とした学校や教師なのではないか。最近の生徒手帳/校則はどうなっているのかわからなのであるが、とまれいくら未成年でも、バカなどと侮辱すれば名誉毀損、意にそわぬ行為を強要すれば恐喝、ノートや教科書にいたずらすれば器物損壊、持ち物隠せば窃盗、たとえ同性間でもパンツおろそうなどとしたら強制猥褻、見てみぬフリをすれば共謀だ位、個人尊厳の権利とその侵害を社会教育すべきであろう。