活きていく為の教育

もひとつ、学生の素直な意識。
ニートやフリーター「自分がなるかも」 東大生3割不安
http://www.asahi.com/life/update/1218/005.html
当然といえば、当然。懇切丁寧な受験指導しか身についていない=能力特化してるのならば、そりゃそーだ。生活はテストや空想シュミレーションぢゃなくって実務なのだが、「仮想」の学生というモラトリアム特権身分である状態が常態として自己アイデンティファイしてしまうと実務生活の社会が遠くなること*1と、東大自身の肥大化と情報化社会の流動化でその栄光と権威が目減りしたということがあるだろう。
で、受験対策に振り替えてしまった「総合学習」ってのが、ほんとはソレを補うハズの時間だったのではないか?
総合的な学習の時間
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sougou/main14_a2.htm
生かされる為の「態度」とか「道徳」とか「愛国心」なんかより、活きていく為の能力こそが、社会で必要な能力であり、ひいてはそれがシゴト能力に繋がる。
ところがさー、こうした生活知識は受験知識はもとより学問知識よりも「下賤」なもので、士農工商、学校/学問は世間よりも格別であるべし的なアカデミズム権威主義者が教育関係者に多いから鼻先で軽視。したから、法や社会の仕組みや理念とその由来なんかは知ってても、その仕組みを自分で有用に動かす方法が判らない、と。結局、高等遊民出来るインフラない者が、実務不安になるんだよね。。。
ニートやフリーターになっても、どう対処して生きていけばいいか判っていれば、それは別に不安でもなんでもない。どうすれば、不利にならないか。もし、なにか不利な状態に堕ちいったら、どこにどのようなサポートがあって、どのようにそのサポートが受けられるのか。金銭賃借(含クレジット)や賃貸や雇用等の契約交渉と紛争処理方法。差別傷害等の人権侵害とその回避/回復方法。障害や貧困に対するサポート活動など。具体的には、最低いくらあれば生活を廻して行けるのか、具体的にプランを立てて帳面つけて、評価しあうとか。ワタミ社長のいう「身だしなみとかゴミの始末とか机を並べる」作業より、よっぽど活きる知恵がつくというもの。id:hizzz:20061214#p2

*1:これに関連して内田樹が例によって例のごとくなコトを書いているが、>http://blog.tatsuru.com/2006/12/19_1116.php 彼の設定でいうならば、「学問/シゴトの達成」よりも「学問/シゴトをする自分」にばかり興味がある者といったところか。