喪失されつづける「ロスト・ジェネレーション」

朝日新聞は『ロスト・ジェネレーション』という連載を正月からやっている。現在の25〜35歳(団塊ジュニア)が該当者である。(Web上には掲載されず)
90年代は「失われた10年」とも称せられるのだが、これはバブル崩壊で「戦後の右肩あがりの成長」が止まりっぱなしという意味であるが、富といえど所詮バブルは急激に膨らんだ付加価値、うわばみ。id:hizzz:20040520#p5 それでは世代論として何が90年代個々人が「喪失」したかといえば、〈個〉に他ならないのでは。
感性の時代などといって個性がもてはやされた80年代に、「ヘタウマ」として個性=感性としてもてはやし消費したのである。それが可能だったのは、ベーシックに「ウマい」部分の蓄積があればこその、お遊びとしての付加価値の余裕の「ヘタウマ」=サブ・カルチャーなのである。ベーシックとはすなわち、ハイ・カルチャー。そうした高等遊民的お遊び=スノッブを、当のスノッブ達が遊び尽くした残骸をひろってひろって『朝日ジャーナル』を含めて新旧メディアがこぞって「流行」再生産し全国展開して、ハイ・カルチャーぬきな感性=個性「ヘタヘタ」サブカルとして日本中で蔓延したのが、80年代だった。したから「80年代はスカだった」のである。id:hizzz:20040128 スカにしちゃった遊びだったのだから、次の世代にナニも残っちゃいやしない。もうはや〈個〉は、メディアのカタログの中のセレクトにしか残されてないと、親/学校/メディア世間総掛かりで思い込まされた。その中身ナキうわばみマッチポンプをひたすら拡大生産するシステムだけが残った世の中だからこそ、とめどなき「アタシさがし」や「癒し」が始まったのだしね。そのアイデンティティ政治の膨大な死屍累々はドコいったんだぁ?
それをロストした世代論なんか、欠落もいいトコ。>朝日新聞
…と、ストレートにヘミングウェイの語彙そのものからして違うというちゃんとした世代論批判が書かれていた。>「世代論はいつでも個人という考え方を圧殺する」id:solar:20070108 まったく!!!!
『朝日ジャーナルの時代 1959‐1992』朝日ジャーナル
『昭和の終焉―1988.9-1989.2』朝日ジャーナル