リアルフェースの謀議

一方、毎日新聞は『ネット君臨』というネット社会に対する「失われていくもの」で、かなり恣意的に断片化再構成された内容は、2chな皆様の批判を存分に呼んでいる。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/kunrin/
「失われていくもの」はそもそも、碓としてあったものなのか。それこそ、「戦後民主主義」で「在る」ことにした(お約束)共同幻想=共同謀議だったのではないか。と、いう根本的問いがここにはまったく欠落している。
例えば「ネットでは民主主義は保てない、せいぜい民本主義止まり(だからリアルフェースベース=実名が基本)」などという識者もいるのであるが、それでは、リアルフェースベースで民主主義が機能しているというのが錯覚であったことはないのであろうか。明確な賛同でなくとも、とりあえずその場にいさえすれば参画=成員共同体といったような場の生成による意見集約ではなく、独り独りの言動が逐一追尾記録されるネットシステムによる個々の明確な公私含めた「責任の所在」=自律が万人に均しく露になり掛かってくるという性質ゆえの、曖昧な〈個〉のリテラシー不足による齟齬があるということなのではないだろうか。id:hizzz:20030624#p2 大体、ここで書かれている齟齬は、個々の役割/責任が明確な〈公〉的仕事以外の、〈私〉的齟齬ばかりである。前にワタクシは私/個と、公:世間/社会をどうとらえるかということで、「忖度〈村〉社会」と「民主主義社会」の2つのパターンを書いてみたid:hizzz:20040424#p4が、どうもこれらの新聞記事は「世間を代行する家父長ヒエラルキー」な「忖度〈村〉社会」為の「格付け」的色彩が色濃く出ているから、2chネラーならずとも傲慢に感じるのである。id:hizzz:20040512#p1、id:hizzz:20050804#p5