ミーハーとサブカル消費文化

竹熊健太郎さんが凄いオタクについて『コレクター考』として自身のブログで連載されていたが、オタクするには、情報収集力や交渉力の他に、インフラ条件として金と暇と収集保管場所が必須である。インターネットの普及の他に商業的にオタクジャンルとして回っている現在は昔程そういうことは考慮されない。現在と違う重要な点は、物のない時代の貧乏と階級支配、カルチャーとサブ・カルチャー、大人と子供の厳然たるピラミット構造である。って書くと、そのリアリティがない現代っ子には、脊髄反射サヨクイデオロギー的っていわれるんだよなー。いまでも「漫画なんかバカの読むもの」ってオタクでないプレオタク世代以上の多くの年配はフツーに言うでそ。だから履歴ぢゃなくって世代論なんだけどね。
まず昭和20年生まれが青春を送った60年代には、大学進学することは少数派でエリートだったのである。現在から見れば『巨人の星』の星一家の赤貧生活は極端に思うかもしれないが(それでも私立高校に入った星より下層階級として、貧乏人の子だくさんを背負う長男・左門が描かれてる格差社会だったんだし)多くの庶民はちゃぶ台生活で、個人部屋*1はおろか個人の勉強机*2さえ、だいたい自分の持ち物といえるものさえロクに持ってなかったのだ。貧困階級差別が土台にある『あしたのジョー』『愛と誠』や、いつも最新の電化製品に囲まれた理想リーマンの「庶民生活」が描かれる『サザエさん』など主要漫画でも題材にされてるとおり金持ちと、もっぱらエンゲル係数で計られる貧乏の生活行動様式はマジ隔絶していたのである。したから経済的利益や名誉に結びつかないコトをしてることを「金持ちの道楽」というように、自己環境下の自助努力でオタク的子宮セカイなんか到底構築できえない多数にとっては、そもそもオタク的境地にさえ到達しないで趣味に触れてもあっさり離脱するよかないのである*3
さて、それではそんな中でも当時ミーハーはいたのか?そりゃたしかにいた。加野瀬さんはその頃のプレオタクの主要メディアを漫画とされている。が、それは違うなぁ。
当時のエリート青年の最大イベの学生運動で「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」といわれた。今や思想政治オタクは、オタクの諸種周辺ジャンル化されているのであろうが、階級に伴う文化資本差別の基に、思想哲学をそのピラミットの頂点としたら漫画は最も低俗または児童のもので金持ちや知識人の読むものではナイのである。60〜70年代文化資本の最上にある大学でその最低の漫画を読むことがカウンターカルチャーとして成り立つゆえに、上記のスローガンが出来た。んでも最上たる思想として『朝ジャ』は捨てないトコがミソだけどね。でも実はこれこそがミーハーだったのであり、本当のプレオタクはハヤリの学生運動には背をむけてひっそりと映画/SF/鉄道/切手/軍事/オーディオなどの地下活動(笑)に勤しんでいたのである。そしてそういう連中の媒体は、マニア雑誌*4や同人本*5などの活字やマニアが集うサロンや古物店や喫茶店などの寄せ書きノートや文通である。ビジュアル・マス媒体という加野瀬基準に厳格に沿えば、漫画*6ではなく映画ということになる。で、大半のミーハーはヤクザ映画や洋画、演歌歌謡曲を右から左に流して、大学エリートも『朝ジャ』は置いて『少年マガジン』はエロ本漫画に替え背広に着替えて*7余裕が出来たら「飲む打つ買う」のオヤジ道。
みんな一緒な消費文化が完成したのは、80年代になってから。一族一家より個を尊重する友達親子が出てきて、普及した電化生活によって個人自由時間が増え趣味に寛容になりTVや個室化しだしてサブカル文化が一気に花開く。多分、加野瀬さんが意識してるミーハーとは、この80年代のサブカル者のことではないだろうか。60年代から始まった漫画雑誌やTVアニメはせいぜい中学生位までの文化で、その後はオカルト/アイドル/ポップスにミーハーは瞬間的にむらがった。趣向対象を次々乗り換えて表層で戯れること、それがポストモダンスノッブだったりした。
サブ・カルチャー全体に光があたっていく中で、そういう風に「ネアカ」に変遷しない自己セカイ一筋のオタクは、従来のメインカルチャーだけではなく隣人であるサブカルチャーにまで時が止まった者として「ネクラ」「ダサい」とさんざんバカにされはじめたのである*8。そういう重層差別に直面したオタクがセカイを護るために「薄いサブカルスノッブよりも、濃いオタクスノッブのほうが道として最上」としたり「やめたくてもやめられない」と頑なに自己アイデンティファイしていく方向に向かうのは無理はない。オタクとサブカルは対立したのである。しかし89年に埼玉連続幼女誘拐殺人事件で宮崎勤が逮捕され、「5763本ものビデオテープ」*9がある自室内部写真がメディアに載り、オタク=宮崎勤と危険視されるに至る。

*1:60年代の誕生当時2DKが主流だった公団住宅が「子供部屋」を想定して3DKになったのは、70年代から。

*2:木製平机に変わって、スチールの棚付多収納「学習デスク」が販売されはじめたのは、67〜8年頃から。

*3:6〜70年代漫画は、貸本屋でこそっと借りて読むのが普通でたとえ小遣い工面の末に単行本なんか買っても、親兄弟の目がキビシいわ自己スペースもなく到底持続出来えない。

*4:活版。雑誌で写植+4色オフセット印刷が普及しだすのは80年代以降。

*5:その多くは謄写版ガリ版

*6:サンデーとマガジンが59年、ジャンプ68年、チャンピオン69年創刊。青年誌はヤングジャンプ79年で他は80年代後半以降の創刊。週刊少年ジャンブが暦代最高部数を記録したのは、95年653万部。

*7:社会人向け漫画は、サンデー59年、アクション、ゴラク67年、プレイコミック68年、ビックコミック68年創刊。

*8:無論、そゆサブカルミーハーだって上層を変換するだけで変わったと見せかけるダケで、停止した中身を享受してるのは一緒だのだったのだが

*9:収集した内容について主種雑多だった為、宮崎ははたしてオタクといえるかという考察がなされている。