オタクの功罪

加野瀬さんの当該ログでは、コレクターとオタクをわけるためにオタクをビジュアル・マス媒体中心趣向者と限定したのは、岡田斗司夫『オタク学入門』とコメントされている。
それでは岡田は何故コレクターとオタクを分けようとしたのか?はたしてそれを継承してしまうのは妥当であろうか。
何故、岡田はオタク世界から出て「オタク学」を語り、「東大生オタク化計画」をすすめる必要がでてきたのか。再掲載id:hizzz:20040319。

あれ(宮崎勤事件)がばれてしまって以来、自分がやってきたものや『マクロス』とかが真っ直ぐ見れないんですよ。
両側ふさがれちゃったんですね。俺、オウム事件のときに「またばれた」って思ったんです。「二大ばれた」なんですよ。宮崎とオウムとで。

岡田斗司夫 『マジメな話』1998年4月11日版
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/mazime/No3.html

セクシュアリティに繋がるやおいは退け、説や論者がどこ迄ネタでどこ迄マジかとかく齟齬が起こりやすい扱いが非常にむずかしいUFOカルト心霊/擬似科学/軍事/陰謀論は、ままオウム事件等の世俗に繋がるから「闇オタ」として影にかくし、ハナから誰にもフィクションときっぱりしてるアニメを全面に出し「文学作品」としてアニメを位置づけ、PC文化とくっついたゲームが来るべき最先端マルチメディアの核となりうる幻想を膨らますことでアカデミズム権威と産業の了解を取り付けた。それで一般大衆にオタク的対処法の存続認知を計ったのが、「東大生オタク化計画」であろう。「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」をもう一度である。
で、そのような断片化したフィクションばかりがネットを通して行き渡ったからこそ、オタク=アニオタがオタクの中核であるかのような履歴が信じられてしまう。去年の岡田のいう「オタク is Dead」が若いオタクに通じなくてネットで異論が吹き上がったのも、ネタがベタになるそういう齟齬の一つであろう。
UFOカルト心霊/擬似科学/軍事/陰謀論というのは、そのアニメが成立する重要なルーツであることが多い。しかし、そうした文脈背景を切り離して語らないことになるとすると後に語ることは、先鋭感覚的なパーツに極集中することになる。文脈背景はどうしたって、実社会や他ジャンルに触れることとなり、あまり勝手は出来ない。しかし、先端感覚的なことならば、そうした都合の悪いことは全部オミットしてセカイを構築できうる。こうして『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』としてのオタクが新たに組み上がる。それが00年以降のオタクのかろやかな願望なのではないか。

本書の主題は、ひとことで言えば、「ポストモダン、すなわち物語の力が衰えた世界において、それでも物語を語ろうとすればどうなるか」というものです。

東 浩紀 『ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2』


最初に書いたとおり、当事者語りには願望、身もフタもない言葉でいえば「ご都合主義」で美化されがちな点が多々ある。そして、それがネタ/嘘とわかっていても、当事者的に都合良ければそゆことにしといて後はふせておく、語りたいトコだけ語る/語って欲しいという願望をもつことは、オタクでも例外はない。なにしろそれこそが、見つけてきた自己ストーリィ、オレ的セカイ構築の方法論なのである。ただの当事者語りでも構わない。趣味って自己満足を充足させることが第一なもんだし。まとめなりなんなりは、オタク評論をしたいと思う者が自身ですべきことである。批評オタクというジャンルも成立するからヤヤコシイが、従来的作家と批評家の視点が違うように、オタク出来うるインフラを維持すること(表現の問題)と、オタク評論出来うるインフラを整備すること(表現を支える欲望構造の問題)とは、全く違う。
オタク〜ミーハー間の「濃い/薄い」は色んな遍歴を持つか否かということではなく、情報の傍証をつみかさねたり遍歴を重層的に繋げて独自セカイを煮詰めて濃くしたりせずに、狭い範囲で断片的に先鋭消費化して独自セカイは薄いままでいることであろう。上に散々書いてきた通り、時代背景とそうした多様性風説に耐え自己セカイを構築しうる生産姿勢があるかないかということであろう。それは、オタク論に限らず「半径ワンクリック」で収集〜考察を済ませる最近の断片化いちぢるしいネット言説傾向全般にも言えることでもある、複数の〈私〉でホカホカしたい情報共有の関係性に戯れる快楽が中心となって表現される独自セカイや感想がその時の他者欲望最大公約数にフラット化してくるという全体的な傾向である。
差別侮蔑の荒野を開拓し、あちこちに散らばっている断片情報を知恵を絞って収集し考察を重ねて自己のストーリィを自前でつくる(DIY)その過程にのめり込むのがオタクのオタクたる由縁であった筈なのに、参照できうるアーカイブがないないと嘆くだけならば、初期オタクからしてみればまったくもって消費一辺倒になってる只のミーハーとしか見えなかったりする。

日本アニメーション学会 http://www.jsas.net/
日本マンガ学会 http://www.kyoto-seika.ac.jp/hyogen/manga-gakkai.html

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