戦後経済成長を映す慎太郎セカイ

なんでそんなに慎太郎が人を引き付けるかというと、彼が昭和の高度成長期の新中間層(都市ブルジョア)の勃興を体現しつづけてるからだ。>id:hizzz:20031128

「石原が表現してきた世界は、都市中間層の人物が中心である。湘南リゾート的で、生活の匂いがしない文化である。これは戦後のあらゆる日本人が実現したかった生活である。さらに石原には新宗教的な生々しい大衆の欲望、現世利益的な願望が流れ込んでおり、その言動が非常に突出しているようにみえて、実は大衆願望の枠組みに入ってしまう。」青木保

佐野眞一『てっぺん野郎―本人も知らなかった石原慎太郎』

厳然とした上流でも特権階級ではない石原家*1は、父親の時代から中川派を引き継いだ国会議員時代迄いってみればいつも傍系を歩いてきた。それだからこそ日本を護れなかった古色旧弊たる上流や、漢籍権威な中国や、お文化をふりまくフランスや、物量にモノいわせるアメリカに反発をしまくり、上昇して地位を脅かそうとする下層/よそ者を追い立てることで、自己のプレゼンスを計り、立位置を創る。大学在学中に父親が死亡するとたちまち行き詰まった一家の生活の為に、作家デビューをはたし、脚本を書きゴロツキの弟を売り込んで映画スターに仕立てた。それと、教科書にスミを塗り全て自分達で作り上げた「生活の匂いがしない文化」=戦後高度経済成長。その経過全てが石原兄弟ストーリィ=新中間層の上昇物語となって、「石原慎太郎」という表象がセットされている。
性別を問わず中高年にとっては「イシハラ将軍が都知事だから」支持するのではなく、正確にはウザい旧弊を打ち破ってエラくのしあがったスターだから、慎太郎と共に人生を重ねて来た自己確認/自己肯定の増幅装置だからなのだろう。
日本文化論の変容
http://web.archive.org/web/20061201023210/http://www2u.biglobe.ne.jp/~tkawaka/bunkaron.htm
慎太郎が他の政治家と違ってかくも特異な状況を創り出せたのは、祐次郎という存在を自己史の中に取り込んで再構成していくことで、作家/政治家という自己フィクションに他者身体性を加味してきたという面があるのではないか。

*1:祖父は愛媛県の警察官