「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」

引用している『葉隠』が編纂されたのって、江戸時代も中期のこと。徳川幕府体制も安定して、そうそう武力実力行使で「下剋上」も「死ぬ事」もなくなった官僚侍たちに必要とされた訓話。まあ、めだたずおちこぼれず、なまぬる〜く勤めている子飼の「昼行燈」さんたちに、藩主の偉さを説いて活をいれようとした文章なんである。
しかしその当時の主流の思想(朱子学を主体にした徳川武士道)にそぐわず、藩内では禁書扱いにされてしまった体たらく。それが、朱子学(「劣った東洋」)を払拭する明治にはいってから、西洋の聖書に匹敵するものとして「武士道」を倫理思想として御一新普及されたという顛末。『葉隠』にいろんなおひれはひれがつくのは、明治期なんである。
もともとは鎌倉時代の「御恩と奉公」という具合に武士と主君はイーブンの関係であり、武士は自分の腕一本で高報酬を求めて主君を渡り歩く個人事業主。しかし、それだと主君側は安定しない。したから「2君にまみえるな」だの「君、君たらずとも、臣、臣たるべし」と、主君にはつごうのよいような「現状維持」でできている。その愚直で一方的なモラルはまさに「片思い」そのもの。