2008-01-10から1日間の記事一覧

共同体と個人

個人としての意見をいおうとすると、「(外)敵の有利になるような身内批判をするな」とか、はたまた「共感できる・できない」とか「傷ついた」とかになるのは何故かというのが、もうずっと前からワタクシの素朴な疑問としてあった。個人が個人として立脚し…

過去はいつでも現在によって創作される

これまでレイシズム分析者があまりに長い間中心的に行ってきた、「教養」や「イデオロギー」によるアプローチにこの現象を還元してしまうことに警鐘をならすミシェル・ヴィヴィオルカは、現在はその差異が解消するどころかレイシズムもまた多様化しグローバ…

勅諭&勅語の有効範囲

さて、また歴史にもどると、『葉隠』的なものもミックス*1された武士道を基として陸軍向けにこさえたのが、『軍人勅諭』1878年。 「忠節・礼儀・武勇・信義・質素を旨としてお国の為に身を粉にして玉砕していった立派な兵隊さんたちは、そんな酷いことなぞす…

情緒関係と自己存在

しかし、いっくらそういってもそうそう他人に一族郎党の命かけてなんかやってらんない。結局はこの関係のままでは食っていけないので、幕府が崩壊したのは歴史的事実。其処まで行く前に、激しい自己矛盾をかかえるというのはどういうことかというと、「義理…

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」

引用している『葉隠』が編纂されたのって、江戸時代も中期のこと。徳川幕府体制も安定して、そうそう武力実力行使で「下剋上」も「死ぬ事」もなくなった官僚侍たちに必要とされた訓話。まあ、めだたずおちこぼれず、なまぬる〜く勤めている子飼の「昼行燈」…

ふるまい=型としての一致団結

kmiuraさんとこへ2年前にしたコメント 「サムライを日本の表象とする最近の風潮ですが、「恋のはじまりの至極は片恋なり/主従の内など、この心にて澄むなり」(葉隠)つーことで、近世前期以降の「家」は、主君従者の情緒的な結合関係で、両者間での忖度と…

情緒という囲い

年が変わってしまいましたが、myペースで続けてますので、ひとつ、よろしこ。と、いうことで、これまでのカキコを振り返るフリして、よそ様での自己コメについての、あまりに重鈍で亀な補足うだうだ。。