失敗の本質

失敗の本質―日本軍の組織論的研究』に依ると、旧日本軍の迷走は、過度な精神主義・戦力分析の欠如・過去の成功体験への執着という3点が原因であると書かれている。また最近の菊澤研宗『「命令違反」が組織を伸ばす』では、行動経済学の観点から軍の閉鎖性と不十分な情報の中限られた判断力の範囲で合理的な行動を取る限定的案合理性とがあいまって、個々が限定合理的に判断した結果、不条理な行動が繰り返されたと結論づける。
ある行為結果について「結果がだせなかったのは、環境周囲が悪いから」「あまりにも運にめぐまれてなかった」という意見はよくみかける。そういう状態もまたよくあることだ。しかしその分析結果をもってしてただちに行為者の結果責任への問いが解消することにはならない。特に上位指導的立場=行為決定または管理指導権をもつ者に対してはより厳しい分析がなされてしかるべきであろう。
要は、先にも後にもその「悪い環境周囲」に対して、それを回避又は超越して結果を出す為に相応妥当のシゴトをしたのかということである。一旦決定した事項が自動的に事が進むシゴトなら、管理職いらないのである。受け持った行為を全体に意味するところを敷衍しつつ、部分を微調整し当初「合意」されていた結果を導き出す、そういう役割を負うのが、上位指導的立場であろう。
「全体方針が決まった、後は君たち、よきにはからえ」なぁんていうのは、なんにも役目をはたしていない。また、そゆ者にかぎって遂行業務が苦しくなると「やるときはやらきゃならないんだ」とか「根性でがんばれ」などと具体性を欠いた激をとばし、誰の目にも破綻が明白になってくると「いや、後は部下にまかしてたので…」「○○君の能力が…」「相手方が無理難題をおしつけてくるので…」と責任回避しがちなので要注意。
そもそも管理者というのは、トラブル改善の為にいるのである。トラブルを逐次察知し回避または改善策を立てて組織に的確にフィードバック出来得る対処遂行能力がない者は、その立場にいるべきではない。
「そんなのオレが直接口をはさむことではない、お前達で解決しろ」というのなら、丸投げした結果がどうなろうと私は知りませんではなく、そういう指示を出した結果責任は発生する。能力不十分を見極められないまま過重任務を押しつける、または適切なサポート&フォローをしないままで失敗をまねいた指導監督責任もまた発生する。相手方等の動向環境変化についての予測分析不足は思い込みで突っ走る視野狭窄の典型例であるし、手持ちでの立ち回りに限界があるのなら他の指導者や関係機関等との連携協調への適切な働きかけもないのでは、その立場はまったくもって向いていないと判断してよいであろう。