良いジャップは、死んだジャップ

第二次世界大戦が産み落としたもの、それはユダヤ人虐殺と“人種差別”である」とジョン・W・ダワーはいう。
前回書いたとおり西洋に追いつけ追い越せ日本政府が和魂洋才に押し込めた「近代教育」政策、では当の西洋ではどう見られていたのか。

日本人は他の国民のような考え方をしないということが、事実上すべての注釈にとって必須条件であり、確かに欧米の感覚での「理性」とか「倫理」に支配されることはなかった。彼らは考えるというより「感ずる」とよく言われ、また頭脳だけでなく「全存在」で考えるとも言われた。彼らの精神は「前ギリシャ的、前合理的、前科学的」と評された。―これらのレッテルは女性の劣等生に関する話の中でも、よく使われたものだった。ときによってはこの同一視がはっきりと示された。「日本人の精神は、女性の精神がそうであると考えられているように、より初歩的な動き方をする―分析や論理的演繹に従うというより、本能、直観、懸念、感触、感情、連想によって動くのである」とオットー・トリシャスは書いた。
日本人が「直観」とか推論的でないコミュニケーションに重きを置くことを、欧米人が日本人の「理性のなさ」の根拠にするのは、ある集団の自己満足的なセルフ・イメージが、他者の否定的かつ軽蔑的なステレオタイプに転嫁する恰好の例である。この場合もう一歩踏み込んで、日本人の頭脳は劣っていると説くのは造作もないことだった。

ジョン・W・ダワー『容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別

また日本人は人種ぐるみで近眼と内耳の欠陥がある故、急行下爆撃はおろか飛行機操縦ひとつとっても満足に出来ないという人種偏見は欧米では蔓延していた。兵站は無論のこと、戦闘能力1つとってもあまりにも大いなる差がある日本が戦争をしかけてこれる筈がないと多くの欧米人は思っていた。その為、青天の霹靂である真珠湾奇襲は、日本人の優秀さを示すどころか、論理的にどー考えても勝算なき侵略に突っ込んでいった行為は、「根本的に理性がなく油断ならない日本人」という定見を決定づける証拠になってしまった。かくして「ちっぽけなイエロー・モンキー」は、不気味で不可解な巨人と化した。>id:hizzz:20050505#p2
当時アメリカの敵は「ナチス」「ジャップ」と呼ばれた。ドイツ人ではなく「ナチス」という限定に対して、全日本人を含む「ジャップ」*1。この言葉と共に、アメリカ国籍を持つアメリカ生まれの者を含めた日系人強制収容所に監禁。同様の処遇は、カナダ・メキシコ・ペルーに及ぶ。その収容所の中から志願した日系二世部隊が、偶然にも南ドイツ・ダッハウ強制所のユダヤ人解放にかかわることとなる。
日本人の海外移住は1885年日本とハワイ王国間の条約により砂糖耕地労働者の渡航に始まる。中南米へは、1893年榎本武揚らの「殖民協会」を通じて組織的に行われた。しかしこれは国策とはいえ、いずれも掛声だおれのあまりに杜撰すぎる「棄民」状態にほかならず、多くの移住者が辛酸をなめた。>id:hizzz:20060626
このような強度に陰湿な人権化と集団拘禁から受けた精神的外傷の結果、特に日系アメリカ人と日系カナダ人の2世3世たちにとっては、日本的なものからの絶縁と「祖国アメリカ」への文化的同化を強める傾向があったという。

*1:昨今は、“JAPAN”ならぬ“JAPAiN”なんだとか。。>http://www.economist.com/opinion/displaystory.cfm?story_id=10729998