先住民運動とアイデンティティ

現在のアイヌ民族復権・文化復興運動への大きな前進は、アイヌの伝統的聖地が損なわれるとダム中止を求めた二風谷ダム訴訟*1にあることは違いない。訴訟人がアイヌの重鎮であり且つ伝統的聖地とそこで執り行われる祭事に通じる者であった為、学問的にも理論づけ出来たともいわれる。多様な形態をもってきた人々で同様のことが出来うるかどうかは、今後のアイヌ学の発展にかかっているが、文化保護政策やメディアによるイメージ流通は、ややもすると「国策アイヌ」を生み出しかねない危険もある。

教科書検定アイヌ問題についての考え方をまとめると)アイヌは未開であった。だからアイヌが日本国家にくみこまれることは、アイヌにとって、経済的・社会的にも文化的にも進歩であり、民族にとっても幸福であった。それゆえに、日本人のエゾ地への進出は、肯定されるべきであり、それに対するアイヌ文明化への家庭の混乱にすぎない。エゾ地は近代に入って、日本人の手で開拓されたのであり、アイヌは差別的に保護されるべきである。
この考え方の中には、アイヌが徳治の領域と社会と文化をもちつづけてきたことに対する歴史意識はまったくないといってよいでしょう。アイヌの歴史に対する配慮もありませんし、当然のことながら、その歴史に根ざして、アイヌにとって何が幸福であるかという観点もありません。

佐々木潤之助『地域史を学ぶということ

また、近年の環境運動やエコロジー、スピリチュアルなどと結びついたイメージは、現代生活しているお隣のアイヌ人を、殊更「自然と共生している神聖なるアイヌ」というフィルターを被せて実像を歪めてしまうかもしれない。実はそれは「保護すべき可哀そうな土人」ということと表裏一体の思考=見たいものを見ることなのだ。そんな囲い込みにあうアイヌの人々は、ナショナリズムエスニティの自己決定の狭間でよりアイデンティティ不明の溝に追い込まれもする。

2chニュー速ダイジェスト【社会】「先住民族と認めて」首都圏のアイヌの人々が署名集め 政府の動きが鈍く
はてブ asahi.com:「先住民族と認めて」首都圏のアイヌの人々が署名集め
はてブ 痛いニュース(ノ∀`):「日本の先住民族と認めて」首都圏のアイヌの人々、民族衣装着て署名集め…政府の動き鈍く
paetok puyar BBS アイヌとは誰の事か?アイヌの人口は何人か?

個人の人格形成は、その人を含む集団が受け継いできた文化に含まれるモデルやストーリーを学ぶことを通じて行われていくのであるから、個人の人格形成は、その個人を含む集団(民族)の文化的伝統に依って強く影響されるということができるのである。しかも、公私にわたる個人の様々な選択の自由も、「文化という場のなかでのみ有意義に行使できる」すなわち、選択の対象となる選択肢を提供し、しかも選択者に理解可能な意味を付与するのはその個人を育んだ文化である。したがって、文化は自律的選択の自由を成立させる基礎条件ということができる。このように、民族の文化は、個人の人格的生存に関わる自律的選択の文脈を提供し、有意な選択を可能にするものなのであり、これを個人の個からいえば、民族文化を享有することは人格的生存にとって極めて重要な意味をもつのである。

宮本照樹「人権主体としての個人と集団」『リーディングス現代の憲法

少数民族との共生」というのはかくも現実いろいろな問題をかかえる。が、しかし、アイデンティティゼロサムゲームではないので、複数持つことが可能であり、実際にもっている。アイデンティティという自他の境界、アイヌとの共生を考えるということは、とりもなおさずアイヌ民族外である自分―日本民族とは、日本文化とは、一体なんなのかということをつきつけられることでもあるのだ。アイヌにもたらされた現在の「困難」は、主体不明を取り続けて自己を規定しない「日本」側にある。>id:hizzz:20080401#p3

今年7月の洞爺湖サミットに先立ち、北海道では「先住民族サミット・アイヌモシリ2008」を開催して、アイヌ民族文化をG8にアピールするんだという。>北海道洞爺湖サミット道民会議

ドキュメンタリー映画『TOKYOアイヌ』映像制作委員会
http://www.kamuymintara.com/film/index.htm

*1:結果的に敗訴となったが、札幌地裁で「日本の先住民であるアイヌ民族には先住権がある」と司法判断