制度的になきものとされていた貧困

「子供の貧困率は先進国ワースト10」と、先月『東洋経済』が親の貧困が子供に受け継がれている現状レポを載せるなど、ポツポツではあるが「低所得家庭」問題が取り上げられるようにはなってきた。低学歴無業=低所得者貧困問題であるハズの「ニート」が、男性高学歴無業=中高所得者問題として世間的概念になってしまう疑問を、myはてダではシツコクシツコ〜ク取り上げてきたのであるが、ようやっとその一億総中流幻想も剥がれてきたということだろうか。
ワタクシもうかつであったが、なにしろ政府には貧困の定義もなければ当然その調査もない。定義がないから調査のしようがない→データのないものは対策もないという、お約束な卓上お役人の考えか。国民生活基礎調査での「低所得」ならぬ「低消費水準世帯」推計というのがかってあったのだが、それは65年までで打ち切り。「もはや戦後ではない」は56年経済白書だが、「もはや貧困ではない」っつーことか*1。以降は、「所得再分配調査」や「家計調査」から、年次差分を各自個別に推計してみるっきゃない始末。
貧困をイデオロギー問題として捉えた日本の不幸 辻広雅文
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10004/

*1:当面の生活保護水準改善の方途:一般国民の平均消費水準に比較して低所得階層の消費水準の上昇が大きく、消費水準の階層別格差縮小の傾向が見られる現状を前提として最低生活保障水準としての生活保護水準の改善を考える限りにおいては、一般国民の平均的消費水準の動向を追うのみではその目的を達し得ないものであって、低所得階層の消費水準とくに生活保護階層に隣接する全都市勤労者世帯第I・10分位階級の消費水準の動向に着目した改善を行なうことがとくに必要である。<昭和39年12月16日 社会福祉審議会生活保護専門分科会中間報告