ジェンダー二項対立の呪縛

江戸時代の春画は明治にはいるとその出版・流通の取締りが厳しくなって、アンダーグラウンドに降下。代わり?として、戦地にもってく「勝絵」という即物的なものに変貌する。

国家がまとまるのと逆にジェンダーは引き裂かれた。春画ジェンダーを曖昧にしていたが、勝絵では男も女も性差のはっきりした(ジェンダー・スペシフィック)制服を着ている。彼は軍服、彼女は看護婦。その服は(春画のふくらみ、うねる衣服とはちがい)体表を流れて輪郭をわからなくさせたりはしない。性差に文字通り白黒がつく。軍服の黒、看護婦の白である。
ジェンダーが単純な二項対立(バイナリズム)に化した時、男色の入りこむ余地はない。明治時代に男色がおわったことは「(ナン色→)ダン色」と発音が変わってしまったことがよく示している。
(陸軍軍医総監・森鴎外)とその周辺で「男」を新しい臨床学の語法によって「男性」という名の医学的実体に変えることとなる。これで正常というものができ、「異常」なものはその外に排されて早晩滅ぼされるにちがいない。ダン色の人間は、オナニストニンフォマニアといったかっては存在しなかった「不適格者」の数多いタイプの中に入ることになった。
勝絵は「脱亜」と一体化して日本を男にし、女性-性をどこかよそへ―中国へ、朝鮮へ―押しつけた。

タイモン・スクリーチ春画―片手で読む江戸の絵

こうして、ジェンダー二項対立的人間主義こそが欧化=進歩主義であると日本人は、それを纏うことにしたのである。>人、女、第三の性 id:hizzz:20080315
美術は「死」に向き合えるか 小勝禮子
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なんでだらだらとこんなことを書いているかというと、二項対立が基礎のジェンダー論は、とりもなおさず近代に表層輸入された理論であって、それを根城として近現代の日本社会を斬ってみても、実はそれはほんの一部の表層でしかない「感覚」であるからこそ、フェミニズムトランスジェンダーやクイア論が、大部分の者にとってはなんだか「いごごち」悪い「身体感覚」を与え続け、思弁の域を中々出られない結果(専業主婦とフェミ等、共感と実践の乖離なままスタイルが生まれない)となっているのではないか、またジェンダー論を深く履修する為に二項対立を追及し殊更にそこに囲い込んでいくのかな(「いつまでも女子」というかたちの第3の性的にフェイク、「女」に出会えない非モテ)とも、思ったのだ。二項対立ジェンダーに自意識があり、その二項対立ジェンダーを超越することを自己のスタイルとしてしまうと、自己創出することが自らを裏切ることにつながり、自己設定することが自らを瓦解させることにつながるような前回書いた不均衡に追い込まれて、身動きがとれなくなるのではないのかと。まあしかし、そんな「女子」や一部のトランスジェンダーの人々が、自らのスタイルを作らずにジェンダー・スペシフィックが判り易い既存制服に扮装するのは、制服が持つ社会コードの中に自らを隠して二項相対という苛烈をそらすという意図が大きいのであろう。
1970年代これまでタブー視されていた風俗解禁について多田道太郎は、抑圧されていた感覚を含めた全ての感覚が視覚に翻訳されるという。

ジンメルや今和二郎が、事物の表層を思えるものに執着し、その解釈に熱中したのは、彼の生きてきた社会がふしぎな方向に進みつつあったからであろう。1つは文明の方向として。―視覚中心の文明がすごい勢いで進むと、他の感覚がふかまり、そして抑圧されっぱなしだったそれらの感覚は、あるとき、歴史の皮肉が働いて、一斉に視覚への翻訳を求め、いわば反逆をはじめる。手ざわりを視覚化して素材感を出すというようにして…。感覚的、表層的なものが、かえってこれらの社会では、もっと深いものの表現であるという逆説が成立する。なぜなら、深い闇のなかにあったものが、翻訳をもとめて浮かび上がるその場所は、理念の体系ではなく、感覚の表層なのだから。

多田道太郎風俗学―路上の思考

“art”や“nature”に相応すべき語(思想)がないと、御雇外国人B・H・チェンバレンは指摘した。そんな状態から、大日本帝国を大々的に表象させた国策お芸術が企まれるんだが…。それについては、また。