とりあえず1歩すすんで纏めようとした共同宣言

1996年6月、橋本龍太郎首相が訪韓する。

日韓共同記者会見 橋本龍太郎 1996年6月23日
例えば創氏改名といったこと。我々が全く学校の教育の中では知ることのなかったことでありましたし、そうしたことがいかに多くのお国の方々の心を傷つけたかは想像に余りあるものがあります
また、今、従軍慰安婦の問題に触れられましたが、私はこの問題ほど女性の名誉と尊厳を傷つけた問題はないと思います。そして、心からおわびと反省の言葉を申し上げたいと思います。
http://www.kantei.go.jp/jp/hasimotosouri/speech/1996/kisya-0625.html

1996年7月29日に、日本遺族会会長でもあった橋本は中曽根以来11年ぶりに首相として靖国神社参拝した。私的参拝であることを橋本首相自身が表明し、8月末に改めて歴史認識について村山談話を踏襲していることを明言したが、反発を呼んだ。

売国際経済懇話会におけるスピーチ 橋本龍太郎 1997年8月28日
私は、我が国が、歴史の教訓を学び、まさに、「前事を忘れず、後事の戒めとする」という視点が広く国民の中に定着していると確信しております。私自身も一昨年村山前総理が発表した内閣総理大臣談話、すなわち「植民地支配と侵略によって、多くの国々、取り分けアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」た「歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持を表明」するとの考えと同じ考えを持っています。この内閣総理大臣談話を決定したとき、私も内閣の一員でございました。日本国内の一部に中国側の感情を刺激しかねない発言があったとしても、日本という国が将来、軍事大国にならず平和国家としての道を歩み続ける決意であることは、我々日本人にとっては、自明なことであると考えます。しかしながら、自らに明らかなことではあっても、中国を始めとするアジア諸国に不信が生まれないような努力は弛まなく続けていく必要があります。
http://www.kantei.go.jp/jp/hasimotosouri/speech/1997/0829soriyomiuri.html

1996年8月7日真宗教団連合靖国神社公式参拝中止の要請」、9月6日日本福音同盟「靖国神社「公式」参拝への抗議」など国内宗教団体から相次いで批判声明が出される。また1997年4月には愛媛県靖国神社玉串訴訟の最高裁判決で、参拝料公的支出の違憲が確定した。

1997年9月訪中して演説、質疑応答では「歴史を歪曲し、また中国国民の感情を傷つけるような発言」への意見を問われる。

中華人民共和国行政院における橋本総理大臣演説 橋本龍太郎 1997年9月6日
過去に不幸な一時期があったこともまた事実であります。日本政府は、一昨年の内閣総理大臣談話で、過去の歴史に対する認識を明らかにいたしました。私自身も内閣の一員としてその作成に携わったわけであります。我が国としてはそこに示された厳しい反省を踏まえ、過去を直視し、歴史に対する認識を深め、未来を切り開くための対話と協力を進めていきたいと思います。
質疑応答:日本をはじめ各国の中には、いろいろ異なることをいう人がいる。それが日本の制度だということは、是非私は理解していただきたいと思うんです。その上で、それが日本政府の、多くの、圧倒的に多くの日本人国民の本意でないということを明確に申し上げたいと思います。日本政府は、第二次世界大戦敗戦の日から五十周年の1995年、内閣総理大臣談話という形をとりまして、我が国として、過去の日本の行為が中国を含む多くの人々に対し、耐え難い悲しみと苦しみを与えた、これに対して深い反省の気持ちの上に立ち、お詫びを申し上げながら、平和のために力を尽くそうとの決意を発表しました。私自身がその談話の作成に関わった閣僚の一人です。そしてこれが日本政府の正式な態度である、立場であることを繰り返し申し上げたいと思います。そしてこのことは首脳間における論議の中でも、中国側に私も率直に申し上げ、李鵬総理も私の発言に完全に同意すると、そう言って頂きました。そして、ここで一つ申し上げたいことはこの記者会見が終わりますとすぐに、私は戦後の日本の総理として初めて東北地方を訪問させていただきます。そして、9・18事変記念館の博物館も見せて頂くつもりでいます。これはまさに過去の歴史を直視した上で、将来にむけての友好協力の実をあげたい、そうした思いからこういう日程を選んである、そういう点も、是非ご理解いただきたいと思います。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/kiroku/s_hashi/arc_97/china97/kaiken.html

1998年1月来日した英国ブレア首相に橋本総理が、第2次世界大戦中の英国人捕虜に対する日本軍の取り扱いについて謝罪した。

報道官会見要旨 外務省 1998年1月13日
(報道官)元英国人戦争捕虜の一部の方々は、既に日本において訴訟を起こしており、その判断については司法に委ねるということである。今度の両首脳の会談においてこの元英国人捕虜問題について話し合われたが、英国においては色々な反応振りがあるようだ。(重要なことは)橋本総理大臣と橋本内閣が痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを持っているということを直接ブレア首相に表明したことである。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/hodokan/hodo9801.html#3-F

オランダのベアトリクス女王は、1991年の来日時の歓迎宮中晩餐の会挨で「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と指摘していた。アジア女性基金オランダ人被害者への事業を行うに当たりオランダ事業実施委員会(PICN)側から要請により、オランダのウィレム・コック首相へ、従軍慰安婦問題についての政府責任が明記された書簡が送られた。

コック首相宛書簡要旨 橋本龍太郎 1998年7月15日
我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的な責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。
私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/hashimoto.html

1998年8月江沢民国家主席が、在外大使などを集めた席上で「(日本に対する) 歴史問題は終始強調し、永遠に語らなくてはならない」と述べていたことが後に明らかになった。
1998年10月金大中韓国大統領が来日し、小渕恵三首相と共同宣言を発表。

日韓共同宣言 1998年10月8日
2.両首脳は、日韓両国が21世紀の確固たる善隣友好協力関係を構築していくためには、両国が過去を直視し相互理解と信頼に基づいた関係を発展させていくことが重要であることにつき意見の一致をみた。
小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nikannkyoudousenngenn.htm

日韓基本条約』でも過去の言及がなかった、日韓の外交公式文書として初めて「反省」「お詫び」が公言された。金大統領と小渕首相は、しばしば電話会談を行うまでになっていた。

小渕内閣総理大臣・金大中韓国大統領 共同記者会見録 1998年10月
両国関係の過去及び現在そして未来を語る中で、私は日本政府を代表して、我が国が過去の一時期、韓国国民に対し、植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し痛切な反省と心からのおわびを申し上げました。この気持ちは多くの日本国民が共有していると信じております。
http://www.kantei.go.jp/jp/obutisouri/speech/1998/1008nikkan.html

同大統領への歓迎晩餐会で、明仁が挨拶。

金大中韓国大統領歓迎宮中晩餐会天皇挨拶 明仁 1997年10月8日
一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に私の記憶にとどめられております。
http://www.geocities.jp/nakanolib/choku/ch10.htm

挨拶はかなり間接的な表現にとどまったが、「遺憾」と「深い悲しみ」がその時々で発言されてる模様。
1998年11月江沢民主席が「日中平和友好条約」締結20周年として中国国家元首としてはじめて来日し、共同宣言が発表された。

中共同宣言 1998年11月26日
双方は、この地域の平和を維持し、発展を促進することが、両国の揺るぎない基本方針であること、また、アジア地域における覇権はこれを求めることなく、武力又は武力による威嚇に訴えず、すべての紛争は平和的手段により解決すべきであることを改めて表明した。
双方は、過去を直視し歴史を正しく認識することが、日中関係を発展させる重要な基礎であると考える。日本側は、1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。中国側は、日本側が歴史の教訓に学び、平和発展の道を堅持することを希望する。双方は、この基礎の上に長きにわたる友好関係を発展させる。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nittyuukoudousenngenn98.htm

8月に在外大使などを集めた席上で江主席は、日本に対して「歴史問題は終始強調し、永遠に語らなくてはならない」と述べていた。盛り込まれる文言について来日前から散々もめた結果、宣言には「おわび」は盛り込まれず、小渕首相が口頭で「おわび」表明することで調整がついた。
一か月前の日韓共同宣言より後退し見劣りした表現に、江主席は「日本軍国主義は全面的な対中侵略戦争を発動し、中国の軍民3500万人の死傷者、6000億ドル以上の経済損失をもたらし」「日本国内には地位の高い人を含めて、一部の人々が常に歴史を歪曲し、美化している」と非難し、日本政府に対して「歴史の否定と歪曲を真に封じ込めるよう努力することを希望」して「正しい歴史観で青少年世代に対する教育と指導を強化する」ことを要求した。
2000年2月21日来日したウィレム・コック・オランダ首相と会談した小渕首相は、第二次世界大戦時の日本の行為について「村山談話」を引き継ぐ形で「多大の損害と苦痛を与えたことに改めて痛切な反省の意」を表した。
・日本の歴史認識問題資料集
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JH/index.html