内政問題山積でぐだぐだ、福田を迂回して麻生政権

課題山積して突然政権について問題が片付かないままあっという間に辞めた福田康夫首相は、ダボス会議と北海道サミットという国際大イベントには参加は出来た。
2006年12月28日就任始め意気揚揚と訪中し首脳会談のついでに、中日派なところを覗かせて北京大学でスピーチをした。

福田総理訪中スピーチ『共に未来を創ろう』 福田康夫 2006年12月28日
温家宝総理は、本年4月の訪日の折、わが国の国会において、「歴史を鑑(かがみ)とすることを強調するのは、恨みを抱え続けるためではなく、歴史の教訓を銘記してよりよい未来を切り開いていくためだ」と仰いました。私は、この温総理の発言を厳粛な気持ちで受け止めました。長い歴史の中で、この様に不幸な時期があっても、これをしっかりと直視して、子孫に伝えていくことがわれわれの責務であると考えています。戦後、自由と民主の国として再生したわが国は、一貫して平和国家としての道を歩み、国際社会に協力してきたことを誇りに思っています。しかし、そうした誇りは、自らの過ちに対する反省と、被害者の気持ちを慮る謙虚さを伴ったものでなくてはならないと思います。過去をきちんと見据え、反省すべき点は反省する勇気と英知があって、はじめて将来に誤り無きを期すことが可能になると考えます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/efuk_1228.html

外交がらみの内政問題として、アフガニスタンのテロ特措法で海外派兵していた海上自衛隊が、インド洋で給油した米軍補給艦がイラク戦争に参加する空母キティホークに給油してたことが発覚してイラクでの作戦に使うことはあり得ない」という国会答弁に火がつく。2007年11月2日日本外国特派員協会講演で「友人の友人がアルカイダと衝撃発言をした鳩山邦夫法務大臣は、爆弾テロ事件被害者遺族から抗議され釈明文を出したが、「治安に関する私の発言は一つのうそもありません」と強調。

2008年9月24日、4度の立候補の末にやっと政権が巡ってきた麻生太郎首相だが、当初は短命の選挙管理内閣なはずが、じりじりと就任期間を延ばしている真っ最中。
2008年10月2日「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」との方針を示した。10月5日従軍慰安婦問題に関して、「河野談話」を引きつつ「政府の基本的立場は現在も談話をフシュウする」といったが、踏襲の読み間違えは、以後「KY(空気・解散・漢字読めない)ぶり」を大々的に揶揄されることとなる。
しかし軽口で鳴らす麻生首相は「歴史認識」問題がらみについても、過去にいくつも問題発言をしている。
 2003年5月31日東京大学学園祭で、創氏改名朝鮮人が望んだ」「日本はハングル普及に貢献した」
 2005年10月15日九州国立博物館開館記念式典で、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」
 2005年12月25日韓国中央日報のインタビューで、韓国人徴用者を強制労働させていた麻生炭鉱の調査について聞かれ、「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」。
 2006年1月9日、福岡県飯塚市での集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「(イスラエルの)シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」
 2006年2月4日福岡市での講演で、日本が植民地台湾の義務教育に力を入れ「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」
 2006年5月26日アジア諸国国際交流会議「アジアの未来」で、「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略)他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家ナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」
 2007年2月19日衆議院予算委員会で、米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案の「日本軍による強制的な性奴隷化」に、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」
 2007年3月21日長崎県時津町で講演で、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか1回もない」
 2006年7月4日北朝鮮ミサイル日本海発射に、「今日(7月5日)は、キムなんとか(金日成を指す)の記念日だったな(実際は7月8日に亡くなっていて無関係)」「距離とか方向とか見てみますと、むしろソ連領に近いほうに発射されてますんで」
 2008年7月に講演で「1930年代、ドイツではナチス党がやたら出てきて、当時のワイマール共和国に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」民主党ナチ説。

現状は、首相も含めて閣僚の問題発言は、もっぱら内政事に集中している。海外からも、麻生政権は中継ぎ視されているからか、世界同時金融危機で自国内政重視+国際協調なのか、関心は薄い。
しかし、2008年10月31日民間公募に応募していた田母神俊雄航空自衛隊幕僚長の『日本は侵略国家であったのか』侵略否定論文が明らかになった。その趣旨は日中戦争侵略戦争ではない」「日米戦争はルーズベルトによる策略であった」「諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。」「アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速し、日本の伝統文化が壊されていく。」などで、過去の旧日本軍軍事行動は侵略戦争ではなかったとし、現在の日米安保条約体制を否定するものであった 。「論文発表は、防衛省自衛隊への国内外からの信頼を著しく傷つけた」として麻生首相はただちに幕僚長を更迭した。その処分に納得しない田母神は、参議院外交防衛委員会参考人招致)・保守系雑誌・TV番組・各種講演会などで持論を展開した。現役軍指揮官トップが繰り出すこうした発言の数々で、波紋は広がった。
11月1日韓国外交通商省報道官は、「論文で主張した内容は歴史の事実を覆い隠すことでありえないことだ。このような歴史歪曲が繰り返されてはいけないということをもう一度強調しておきたい」と批判声明を発表した。11月1日中国外務省は、「自衛隊の現役の高官が公然と歴史を歪曲し侵略を美化したことに驚がくし憤慨している」と批判した。11月4日中国外交部報道官は「日本軍国主義は対外侵略戦争を起こし、中国人民を含むアジア人民にひどい災難をもたらした。これは疑う余地のない歴史的事実である。われわれは日本自衛隊の現役高官が公然と歴史をわい曲し、侵略を美化したことに驚きと憤りを感じている。歴史を正しく認識し、取り扱うことは、中日関係の順調な、安定した発展のための政治的基礎である。われわれは日本政府の態度表明とすでにとられた措置に留意している。中日双方は共に努力して、中日関係の大局を守るべきだ。」と談話を発表。11月14日訪米中の麻生首相に米国務省高官は、中国侵略や朝鮮半島の植民地支配を正当化する人物が自衛隊の要職に就いているのは好ましくないと「論文の主張にはくみせず、政府見解と異なるという点をはっきりさせるため、日本政府が迅速に適切かつ決然とした行動を示したことに、米政府やアジア諸国は安心している」といいつつも、近隣諸国が受け入れ難い歴史認識を日本政府や自衛隊の幹部が公然と示し、関係を悪化させることのないよう促した。