ディコンストラクティヴィズム

ディコンストラクティヴィズム(脱構築主義)とは、定型化形骸化した言語、形式などを解体し、問い直す過程が建築プロセスとして視覚化した、批評を内包した方法論である。無論それは、デリダが言語において仕掛けたことと同義である。具体的な建築実践スタイルとしては、幾何学的に完結的な形態を廃し、斜線やひし形、曲線、鋭角的な形態を入り込んたデザインすることで、エネルギッシュで断片的、未完成で未来的なイメージを持たせた。この手法の両極2大スター(異端児)は、ダニエル・リベスキンドレム・コールハースだろう。
かってユリイカで特集号まで出ちゃう程*1、思弁な皆様に人気のダニエル・リベスキンド*2。その建築プランニングは、あまりにも抽象的すぎて構造設計すらままならず、殆ど着工に至らないので「ペーパーアーキテクチュア」とも言われている。ポーランド生まれの作曲家で家族のほとんどをホロコーストで失っている惨劇的立ち位置から繰り出すギリギリを目指すそれは、1ミリのゆらぎも許さない厳格さ。記憶を内包した「場」である象徴“Void”という空間を閉じ込めて内包するオブジェとして設置し、建築から生=人間を追い出すことで成り立つモニュメントとしてがっしり威圧しつづけることを選択するユダヤ博物館は*3、他にもダビデの星などの記号がメタファーとして構築的に埋め込まれていて、センセーショナルであった。ミース・ファン・デァ・ローエのいうモダニズム均質空間をついだ柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体であったツインタワー崩壊後の2002年911跡地開発のTWC国際コンペで、常に政治的絶対性を追及してきたリベスキントは、更なる究極のスカイスクレイパー(高層商業ビル)を提案し一位をもぎとったが、開発業者ラリー・シルバースタインが収益性の低い彼の案を嫌い、現在タワーの設計者としてはSOMのデイヴィッド・チャイルズのみクレジットされている始末*4。とほほ。
1980年代に、マンハッタン島の開拓からスカイクレーパーの死までの狂乱の歴史「マンハッタニズム」を『錯乱のニューヨーク』で書いたコールハースは、そんな911コンペ参加を蹴って中国中央電視台CCTVに着手した*5。デ・スティルの地オランダ生まれだがインドネシア育ちで、ジャーナリスト&シナリオライターだった彼は、リベスキンドとアプローチ手法はまったく違っている。政治的絶対性を重視し理念を突き詰めるリベスキンドに対して、コールハースは露悪・寓話的な身振りを演じて現状を突き詰める。資本主義的都市の膨張をYES体制(\€$=円、ユーロ、ドル)として肯定し、その中での建築は特権的ではなく「ジャンク・スペース」だと言い切る。世界中どこにでも存在する無機的な同質建築で埋まった乱雑な都市を「ジェネリック・シティ」と名づけ、ショッピング・モールの空間にショッピングと異なるプログラムを与えることを提案する。自身の活動拠点を建築プロダクション「OMA」(Office for Metropolitan Architecture)とシンクタンク「AMO」とに分けて、圧倒的データドリブンから繰り出されるジャーナリスティクな思考・設計の数々*6。そんな仕儀は左派思弁家からは受け入れがたいらしく、浅田彰は「資本主義的シニシズム」「ポスト・コロニアリズム」と批判し*7柄谷行人は「巨大な利益を求めて殺到する土建産業の一端」で「芸術性の否定の身振りによって、建築をより芸術的たらしめようとしている」とこき下ろす。*8しかし実際問題としてコンペを勝ち抜いて着工にこぎつける為には、建築家は単なる造形センス・芸術感覚だけではダメであり、タイトな期限や予算や人員設備の中で、そこの係る多くの人々の様々な思惑を計りつつも意匠の細部を詰めていくという実務作業をどれだけ貫徹できるか否かに、建築物の完成度はかかっているのである。それゆえ、デザイン・プランニングを含めた建築真価が問えるのは、建造物として着工してることが最低条件なのである。彫刻芸術と建築デザインとの違い、リベスキンドの建築家としての評価が業界的に落ちるのは、こうした所以である。通常、設計コンペは大抵運用案とセットで審査される。設計とは別に資金計画も含めた運用案を煉る外部シンクタンクとが連動して、開発設計コンセプトづくり=デザイン・プランニングはなされる。複合開発などの大きななものは、シンクタンク(企画開発)+建築家(設計事務所)+ゼネコン(施工業者)の他に、銀行・流通・広告代理店などが全面参画する企業連合体チームでプランニングされる*9。手がける建築が大がかりなものになるにつれ、コールハースは自前シンクタンクの重要性を痛感したのであろう。 *10OMAからは、プリツカー賞で勢いづくザハ・ハディド*11を筆頭に、ロッテルダムのグループ・プロダクションMVRDV*12のヴィニー・マースとヤコブ・ファン・ライス、ロンドンのFOアーキテクツ*13など輩出している。
そんなコールハースの最初の作品は、不在が存在よりどれほど強烈であり得るかに開眼したという『建築としてのベルリンの壁』であった。

私はプロジェクトを計画する土地の特殊性を慎重に考慮します。適当な場所に適当に決めた建物を建てることはありません。建築は芸術であると同時に、ある意味でジャーナリズムの所産ともいえるものです。脚本家の体験から、建築は必ずしも固定された芸術形式ではなく、現代の文化に異なるエピソードを持ち込み、そのエピソードのもたらす緊張感を操って結末を導く、そんな建築ができると思っているのです。

レム・コールハース 建築を語る
http://www.praemiumimperiale.org/jp/laureates/koolhaashtmlpages/koolhaaslecturecontent1.htm

・ニューヨーク情報環境論 粉川哲夫
http://cinema.translocal.jp/books/nyjohokankyoron.html

*1:ユリイカ 2003年3月号 特集 ダニエル・リベスキンド―希望としての建築

*2:http://www.daniel-libeskind.com/

*3:ベルリン>http://cookie.geijutsu.tsukuba.ac.jp/review/jewish/index.html 
サンフランシスコ>http://www.archdaily.com/2113/jewish-contemporary-museum-san-francisco-by-daniel-libeskind-opening/

*4:http://www.wtc.com/

*5:http://www.japan-architect.co.jp/japanese/2maga/au/aus/cctv/cctv.html

*6:WHAT IS OMA―レム・コールハースとOMAについての考察

*7:http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/shicho04.htmlhttp://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/i010206b.html 最近自己Blogで触れられているが、やや見直し?てるようだ。>http://www.realtokyo.co.jp/docs/ja/column/asada/bn/asada_001/

*8:(2) 隠喩としての建築 (定本 柄谷行人集)

*9:ちなみに、こうした「有名人」の冠だけ借りてコンペに競り勝った後、ゼネコン突貫工事で後は知らぬ存ぜぬハリボテ残骸というのが、西洋環境開発他の80年代バブル建築の数多の実態。

*10:しかし、こうしたコールハースの活動や90年に始まった建築&哲学の「Any会議」に多大なる影響を受けた浅田・柄谷両者は、「空間批評社」や「NAM」を立ちあ上げてはみたものの、空間批評は「Any会議」終了でのネタ先ぼそり(自前ネタ生成出来得ず)と中心的役割を負った編集者1名の死亡で終了、早々に浅田は逃げたNAMはシステムばかり大がかりで肝心の自己フィールドがある「知識人」が集まらず柄谷が投げ出して終了と、どちらも思弁家のマネジメントに対する無理解を露呈した。

*11:http://www.zaha-hadid.com/

*12:http://www.mvrdv.nl/

*13:http://www.f-o-a.net/