二重の記憶:EUのグランドデザイン

ずいぶん前に、ジャック・デリダとユルゲン・ハーバーマスの共同声明『われわれの刷新』*1のことや*2、アマルチア・センが『国連人間開発報告書』*3執筆に加わり「文化の自由」に関する数々の二律背反を解題してること*4を書いたのだけど、このような再構築は、欧州共同体の規範づくりに展開実施されている。デリダ本をどう読むかについては読者の解釈余地の自由があるだろうが、晩年デリダ本人がとった行動は、まごうかたなき「政治的責任規定」そのものなのだ。

帝国型の支配と植民地主義の過去から距離を取る度合いが強まるにつれて、ヨーロッパ諸国は、自己自身に対して反省的距離を取るチャンスが得られるようになった。ヨーロッパ諸国は、(ヨーロッパに圧倒された)敗者のパースペクティヴから勝者としての自己の疑わしい役割を見ることができるようになった。つまり、近代化を強制し、文化を根こそぎにした暴力を問いただされている勝者の疑わしい役割のことである。これは、ヨーロッパ中心主義からの離脱に、そして世界内政治へのカントの希望の再生に役立っているかもしれない。

「われわれの刷新。戦争が終わって、ヨーロッパの再生」http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20090103

東浩紀の歴史アプローチが質されている『リアルのゆくえ』騒動で言及されるかとおもっていたんだけど、ご当人も含めて何方もスルーしてるのは何故なんだろう。。。

さて、元EC委員長ジャック・デロールは、現在政治には、民族国家・新たな施策と新たな共有価値の模索・ヨーロッパ建築という3つの危機があり、再政治化を図る必要があるとする。90年代世界の第一線の建築家と思想家が参加したAny会議*5にも参加し「ヨーロッパとは永遠に複雑なプロセス」と認識するコールハースは、2001年からウンベルト・エーコらと共にEUイメージを模索するヨーロッパ・プロジェクトを立ち上げ主導し、ヨーロッパの現在・過去を縦横無尽に分析し、政治・経済・社会・文化にかかわる仮説をEUカウンシルや議長国オランダ政府などに提案してきた。「EUでは各国の特徴が一つ一つの船の帆のようなブランディングになる。」という。

このプロジェクトは政治家の過剰な感受性や、ごく一般のヨーロッパ人が抱くあいまいな関心、アート界のピューリタニズム、アカデミック界の嫉妬心の間をナビゲートするという実に面白いものになったのです。これは論議が絶えることのないテリトリーなのです。考えれば考えるほどに、そうしたいくつかの境界を崩し、カテゴリー化に疑問を投げかけることが僕たちの役目なのだと思われた。あらゆるレベルでノスタルジアが現代化を動かしているという、僕たちが生きているのはそういう逆説に満ちた現代化の時期であると認識したのです。それでいて、僕たちは歴史上の過去には何ら関心がない。例えばアウシュビッツノスタルジアになってしまい、記憶のための装置がどんどん増える一方で、『実際の回想』がどんどん少なくなっている。これはかなり倒錯した事態です。ノスタルジアとは永遠の否定のなかで生きることであり、ことに、これが右翼だけでなく左翼を、一般の人々だけでなく知識階級をも動かしているのは邪悪ですらあります。その底流にあるのは、はっきり言えば「現代」とは何を意味するのかを再定義する本質的な活動が必要だということです。

「ユーロ・レベル」「多言語性のバベル的次元」と名付けたプロジェクトの多様性については、

今、ヨーロッパ諸国間の違いが薄れ始めているのではないか、そしてそれがこれからのEUのありかたなのではないかとぴう恐怖が多くある。民族学者たちは、ひっきりなしに消え去りつつある言語や文化、種族などを数え続けています。しかし実際のヨーロッパは、フラット化に対する強靭な反勢力であり、皮肉なことに多少の「非効率性」を飲んでも地域間の差異を守ろうとしている。
ヨーロッパ・プロジェクト自体が、ポスト9・11的プロジェクトといえるかもしれません。つまり、それまではヨーロッパのちょっとしたほころびにもつけこもうとするブッシュ大統領に対抗するために、ヨーロッパが十分に強力な自己実現を手にすることがどうしても必要だと感じていたわけです。それが、プロジェクトがスタートした時点でのテーマだった。ところが、9・11後の方向性は次のような直観によっている。つまり、ヨーロッパとロシア、中国、インドの間にはつながりがあり、それはユーラシア大陸がこれから四半世紀にわたって、創造性を生産性の両方において、各国の個別のアイデンティティを保ちつつ、大きな全体のなかでの関係性が新たなサイクルで定義される場になるのだということです。

2004年ブルッシェルでジャック・デリダ、ペーター・スローターダイクベネディクト・アンダーソンら思想家がテキストでアクション参加したEUプロジェクト“The Image of Europe”展(ミュンヘン、ウイーン等巡回)が開催され、A4サイズで8万ページに及ぶ欧州連合における法の総体系『アキ・コミュノテール』“acquis communautaire”が作成・提示された。>http://eur-lex.europa.eu/http://ec.europa.eu/prelex/apcnet.cfm 

最終的に僕たちのやってることは複雑さのプロパガンダであると解釈するに至りました。通常なら複雑さとプロパガンダというふたつが結びつくころがありませんからそれは矛盾しているわけです。
展覧会はヨーロッパの歴史とEUの歴史という二部で構成されています。第二次世界大戦後になって初めて、ヨーロッパを語る目的を定義することが可能になり、物語のすべてを嘘なしに統合できるようになった。しかしそれでも、ある国家にとっての敵は別の国家にとっての英雄であるという、ヨーロッパ的パラドックスをうまく扱う必要があります。現在、中国と日本の間にある緊張関係を見ると、一元化された歴史がどんな結果を生み出すのかは明らかです。これは非常に難しい問題です。僕たちのプロジェクトでは、すべての関係国にとって有効なEUの歴史を語るナラティブを生み出すことに大きな努力を注ぎました。そこでは、重要な歴史的瞬間や災害、危機、争い、重要人物、変化のきっかけとなったものが、これまでなかったような方法で統合され、誰もがそれにアクセスできるようになっている。

コールハースは語る』ハンス・ウルリッヒ・オプリス


コールハース提案:新EU旗

・Brussels Capital of Europe
http://movingcities.org/bertdemuynck/brussels/
・『AMO, History of Europe and the European Union
・OMA:Office for Metropolitan Architecture http://www.oma.nl/
EU拡大 駐日欧州委員会代表部
http://www.deljpn.ec.europa.eu/union/showpage_jp_union.enlargement.php
欧州連合 外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eu/data.html

*1:2003年5月独フランクフルター・アルゲマイネ紙と仏リベラシオン紙への共同署名文『われわれの刷新。戦争が終わって、ヨーロッパの再生』。実際にはハーバマスが文章を書き、それにデリダが署名したもの。欧州共通の外交政策と米国とは違ったアイデンティティの探究、戦争によらない国際紛争の解決と国際秩序の構築など http://www.kozmopolit.com/eylul03/Dosya/derridahabermasde.html

*2:http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20040915

*3:Human Development Report: HDR 経済議論、政策および啓蒙啓発という観点から、開発プロセスの中心に人々の存在を据えることを主要目的として1990年創刊>http://www.undp.or.jp/hdr/
UNDP『人間開発報告書1994』日本語版』、『ジェンダーと人間開発 (UNDP人間開発報告書)1995年』、『UNDP人間開発報告書〈1996〉経済成長と人間開発』、『UNDP人間開発報告書〈1997〉貧困と人間開発』、『UNDP人間開発報告書〈1998〉消費パターンと人間開発』、『グローバリゼーションと人間開発 (UNDP人間開発報告書)1999年』、『UNDP人間開発報告書〈2000〉人権と人間開発(日本語版)』、『UNDP 人間開発報告書〈2001〉新技術と人間開発(日本語版)』、『UNDP人間開発報告書〈2002〉ガバナンスと人間開発』、『国連開発計画(UNDP) 人間開発報告書〈2003〉―ミレニアム開発目標(MDGs)達成に向けて』、『国連開発計画(UNDP) 人間開発報告書〈2004〉この多様な世界で文化の自由を』、『国連開発計画(UNDP) 人間開発報告書〈2005〉―岐路に立つ国際協力:不平等な世界での援助、貿易、安全保障』、『国連開発計画(UNDP) 人間開発報告書〈2006〉―水危機神話を越えて:水資源をめぐる権力闘争と貧困、グローバルな課題』、『人間開発報告書2007/2008「気候変動との戦い-分断された世界で試される人類の団結」

*4:http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20061005

*5:1991〜2000年に年1回各地で開かれた建築・都市・空間に関する“anything”で始まる諸討議会:1991年アメリカ『Anyone―建築をめぐる思考と討議の場 (ICC BOOKS)』、1992年日本『Anywhere―空間の諸問題 Anyシリーズ』、1993年スペイン『Anyway―方法の諸問題 (ICC BOOKS)』、1994年カナダ『Anyplace―場所の諸問題 (ICC books)』、1995年韓国『Anywise―知の諸問題をめぐる建築と哲学の対話』、1996年ブラジル『Anybody―建築的身体の諸問題』、1997年オランダ『Anyhow―実践の諸問題』、1998年トルコ『Anytime―時間の諸問題』、1999年フランス『Anymore―グローバル化の諸問題』、2000年アメリカ『Anything―建築と物質/ものをめぐる諸問題』 http://www.anycorp.com/